美しい民族衣装に垣間見えるセルビア人の苦難の歴史 写真家・狩野剛史 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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美しい民族衣装に垣間見えるセルビア人の苦難の歴史 写真家・狩野剛史

撮影:狩野剛史

撮影:狩野剛史

 写真家・狩野剛史さんの作品展「民は、未来を描く-セルビアの心-」が5月25日から東京・新宿のニコンプラザ東京 THE GALLERYで開催される。狩野さんに聞いた。

【狩野剛史さんの作品はこちら】

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 狩野さんが東欧の多民族国家、セルビアへと旅立ったのは2019年秋。この国の第二の都市で、長い歴史の面影が残るノビサドに招かれ、写真活動を通じて現地の若者と交流を深めるためだった。今回の展示作品はそのときに写したもの。

 現地に滞在中、セルビアの若者たちは狩野さんにこう語りかけた。

「かつて私たちはいろいろな紛争があったけど、また心は一つになりたい」

■空爆にさらされたノビサド

 第1次世界大戦のきっかけがオーストリア=ハンガリー皇太子夫妻がセルビア人に暗殺されたことだったように、昔からこのバルカン半島地域ではさまざまな民族や帝国が衝突し、争いが絶えなかった。

 それでも、第2次世界大戦後は比較的平穏で、セルビアは旧ユーゴスラビアを構成する六つの共和国の一つだった。

 ところが20世紀末、東欧諸国の共産党政権が次々と倒れるなか、1991年、旧ユーゴスラビアは崩壊。凄惨な民族紛争が勃発した。

 独立を宣言したクロアチアとセルビアの国境の街には砲弾が降り注いだ。ほかの共和国に暮らしていたセルビア人たちは大量の難民となってセルビアに押し寄せた。

 民族紛争はセルビア国内にも飛び火し、99年、アルバニア系住民が多く暮らす南部のコソボ自治州の独立を巡って戦闘が激化すると、欧米諸国はコソボ側を支持。NATO軍はセルビアに激しい空爆を浴びせた。空爆はコソボ域内にとどまらず、首都ベオグラードやノビサドにも及んだ。

 街の中心部を東西にドナウ川の流れるノビサドは古くから戦略上の要衝で、この川に架かるすべての橋は空爆によって破壊された。市内の石油関連施設や行政機関もターゲットになった。ノビサドへの爆撃は約2カ月間も続いた。
撮影:狩野剛史

撮影:狩野剛史

■ジョンレノンに憧れて

 あれから22年。狩野さんが撮影したノビサドの街は平和そのもので、かつての落ち着きを取り戻している。

 ドナウ川の岸辺にそびえるペトロヴァラディン要塞は300年ほど前にオーストリアのハプスブルグ家が築いたもので、街いちばんの観光名所。その横には架け替えられた新しいヴァラディン橋が写っている。

 狩野さんがノビサドを訪れたのは、海外から芸術家を招聘して現地の人々と交流するとともに、展示などを行う「アーティスト・イン・レジデンス」と呼ばれるプログラムで、「欧州文化首都」に選ばれたこの街の活動の一環だった。

 EUの前身であるECが「欧州文化首都」の制度を発足したのは85年。それから毎年、加盟国のなかからいくつかの都市を「欧州文化首都」に定め、さまざまな芸術文化に関する行事を開催してきた。ちなみに、ノビサドはEU域外では初めて欧州文化首都に選出された。

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