10年間、被災地の桜を撮り歩いた写真家・大沼英樹の葛藤 (1/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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10年間、被災地の桜を撮り歩いた写真家・大沼英樹の葛藤

岩手県山田町、2011年4月30日(撮影:大沼英樹)

岩手県山田町、2011年4月30日(撮影:大沼英樹)

 写真家・大沼英樹さんが東日本大震災の津波で被災した東北沿岸部と、事故があった福島第一原発周辺に咲く桜をこつこつと撮りためた作品集『未来へつなぐ千年桜』(玄光社)を出版した。今年で10年目となる取材活動の経過報告でもある。大沼さんに聞いた。

【写真】大沼英樹さんが撮影した作品の数々

「千年桜」というタイトルには、未来への希望として、大震災に生き残り、耐え抜いた桜の命を、せめて千年は語り継いでほしいという作者の願いが込められている。

 写真集の始まりは宮城県名取市の海の見開き写真。ほとんど波のない静かな海。水平線の上に広がる光のない空に薄っすらと赤みが差している。

 ページをめくると、何の変哲もない若い桜が咲いている。岩手県大船渡市。昨年撮影した桜で、ひょろっとした細い幹が気持ちのよい青空に伸び、満開の白い花をつけている。すぐわきには、たぶん、あの日までここに立っていた桜の太い切り株が写っている。その奥に小さく見える防災無線のスピーカー。
岩手県大槌町、2011年4月29日(撮影:大沼英樹)

岩手県大槌町、2011年4月29日(撮影:大沼英樹)

 そして、2011年。岩手県陸前高田市。樹齢数百年と思われる大きなエドヒガンザクラが、幹を引き裂かれたまま花を咲かせている。どす黒く染まったカキが鈴なりについた養殖いかだが、ぶら下がっている。根元から奥に広がる平地はがれきで埋め尽くされ、その向こうには流されてきた家が傾いてぽつんと見える。

日々生活している場所で戦争があった。そういう場所を撮影してきた

 インタビューで強く印象に残ったのはこの作品を撮り始めるまでの大沼さんの葛藤だった。いや、葛藤などいう言葉では言い表せないほどの心の揺れ動きが10年にわたって取材を続けてきた土台にあるように思えた。

 大震災の直後から多くの写真家が被災地を訪れた。しかし、大沼さんは積極的に被災地を撮り始めたわけではなかった。むしろ消極的――というか、「逃げた」。

「もうそこにいることが苦しくなってくるわけですよ。生活が変わってしまって、逃げたかったんでしょうね。うん。『逃げる』とは言って家を出なかったけれど、『毎年撮っているから、今年も行く』って。車で九州まで行って桜前線を追いかけた。それで桜といっしょに北上してきたんです。あの年も」
福島県南相馬市飯崎のしだれ桜、2013年4月8日(撮影:大沼英樹)

福島県南相馬市飯崎のしだれ桜、2013年4月8日(撮影:大沼英樹)

 1969年、大沼さんは山形県天童市のサクランボ農家に生まれた。その後、専門学校入学を機に仙台市に移り住んだ。

「18歳で仙台に出て、いま、51歳ですから、もう、こちらのほうが長くなりました」

 卒業後は「私の先生である宍戸清孝さん(※)と出会って、写真を始めるようになりました。コマーシャルよりは取材系の仕事をする方で、アメリカの日系二世の取材をいまもずっと続けられているんです」

(※宍戸清孝さんは第二次世界大戦中にアメリカ軍の一員として戦った日系二世を写し続けている写真家で、2004年に伊奈信男賞受賞)

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