撮影:有元伸也
撮影:有元伸也

蛾という生物が世界でいちばん嫌いだった

 そう言われて、はたと気づいた。ほとんどの画面の中に人工物が写り込んでいるのだ。

「ただ、虫が写っているだけじゃダメなんですね」

「ダメなんですよ。例えば、カマキリを草むらで撮ると、自然生態写真みたいになっちゃうじゃないですか。そこはすごくこだわって探しているんです。人類と虫の接点みたいなところ」

 背景となっているのは道路のアスファルトやコンクリート、側溝のふたや道路のつなぎ目部分の金属、車止めのプラスチックなど。「それといっしょに虫のピカピカした質感やフォルムを見せたい」。

 虫を写す並々ならぬこだわりを感じるのだが、「昔から虫が好きだったんですか?」と、たずねると、意外にも、「そもそも虫には何の興味がなかった」と言う。さらに、「蛾という生物が世界でいちばん嫌いだったですよ」。トラウマになったという中学時代の事件のことを聞かせてくれた。

「ぼく、喧嘩とか、ほとんどしたことがないんですけれど、ぼくの蛾嫌いを知る友だちが目の前に蛾を。そのとき生まれて初めて人を殴りました。そのくらい蛾が嫌い。蛾を避けて生きてきた」

 ところが、10年ほど前のある晩のこと。新宿の撮影から帰ってくると、大きな蛾が家のドアに張りついていた。引きつった顔で家の前でうろうろ。でも、「写真家なので」、ビクビクしながら手にしていたデジタルカメラでパチリ。ディスプレイを覗き込むと、腰の引けた気持ちが写っていた。

「攻めきれてない」。そう、感じると、ドアをそーっと開け、撮影機材を持ち出した。いろいろなライティングを試み、長時間露光にもトライした。ドアの前で格闘しているうちに「ねじが緩むというか」、恐怖心が少しずつ薄れてきた。「そうやって写した写真がめちゃくちゃきれいだったんです」。その蛾というのがオオミズアオだった。

 それ以来、オオミズアオを見つけると写すようになった。生態を調べ(凝り性なのだ)、ファインダーを繰り返し覗いているうちに「それまで過剰に恐怖として反応していたものが反転したというか、過剰な愛情、慈しみの気持ちが湧いてきた」。それがこのシリーズを撮るきっかけとなったという。

撮影:有元伸也
撮影:有元伸也

「新宿」と「虫」は作品の両輪

 しかし、腑に落ちない。終電で奥多摩を訪れ、一晩中歩いて撮影するほどの情熱が虫に対する慈しみの気持ちくらいで湧き上がってくるものだろうか。

「やっぱり、毎日新宿に行って、10年以上撮ってきて、行き詰まりを感じていたというのはありますね。同行取材していただいたのでわかると思うんですけれど、空振りが多いので、気分転換といいますか」

 私が有元さんの撮影に密着したのはちょうど3年前だった。新宿の街をひたすら歩き、撮りたい人を見つけると声をかけ、撮影する。しかしその日、20キロ以上も歩いて写せたのは、たった2カットだった。

 最初は思いつきから始まった虫の撮影は次第に「ぼくにとっての大事な作業」になっていった。

 新宿と虫は「お互いに補完し合うというか、影響し合って、それが一つの作品になるような感じで制作していました。自転車をペダルを右足でこいだら、今度は左足でペダルをこぐように。(デビュー作の)チベットと新宿で写したポートレートにつながるものがあったように、虫の写真も。だから、単なる生態写真にはしたくない、という思いがありましたね」。

 写真展案内に小さく「Complete(完成)」とあるように、このシリーズは今回で一区切りをつけ、「これからは別なことをしたい」と言う。その理由はまったく意外なものだった。

「これまで夜、虫を撮ってきたのは単純に明かりに集まってきたのを写しやすいからなんです。ところが、ここ数年の間にほとんどのライトが(虫には見えない)LEDに変わってしまって、煌々と光っているのに、虫が一匹もいないんですよ」

                  (文・アサヒカメラ 米倉昭仁)

【MEMO】有元伸也写真展「Tokyo Debugger, Complete」
TOTEM POLE PHOTO GALLERY 11月10日~11月22日
会場では同名の写真集(Zen Foto Gallery、高さ257×幅190ミリ、160ページ、コデックス装、小口三方箔押し、5500円・税込)も発売する。有元さんのホームページからも購入できる。