写真家の奥山美由紀さん、小原一真さん、木村肇さん、林典子さんの作品展「Reimagining War」が8月1日から東京・東尾久のギャラリーOGU MAGで開催される。展示は写真家ごとに4つのテーマ、「ディア・ジャパニーズ:戦争の子どもたち」(奥山さん)、「Silent Histories」(小原さん)、「夜の観察」(木村さん)、「朝鮮に渡った日本人妻 JAPANESE WIVES」(林さん)で構成される。

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日系オランダ人3世のイムケ(左)とマリーケ姉妹。イムケは太平洋戦争中にジョクジャカルタの製糖産業で働いていた祖父、ニシムラを捜している。姉妹の母、ジョイスが日本人を父として生まれていたことは50歳で初めて知った事実だった(奥山さん撮影)
日系オランダ人3世のイムケ(左)とマリーケ姉妹。イムケは太平洋戦争中にジョクジャカルタの製糖産業で働いていた祖父、ニシムラを捜している。姉妹の母、ジョイスが日本人を父として生まれていたことは50歳で初めて知った事実だった(奥山さん撮影)

「ディア・ジャパニーズ:戦争の子どもたち」。日系オランダ人に寄り添う奥山美由紀さん

 旧日本軍占領下のオランダ領東インド(現インドネシア)で生まれた日系オランダ人2世、3世のドキュメンタリー。

 第二次世界大戦前、オランダは数百年にわたりインドネシアを植民地としてきた。その間、オランダ系白人とインドネシア計住民の血を引く人々が生まれた。

「彼らは『インディッシュ』と呼ばれています。オランダ語を話すキリスト教徒。旧日本軍が統治した3年半の間に、インディッシュがお母さん、お父さんが日本の軍人、軍属という子どもたちがたくさん生まれました。私は彼らを追いかけてきました」(奥山さん、以下同)

 戦後、連合国の方針でインドネシアに駐留していた日本人の大半は単身帰国した。その後、独立戦争が起こり、インドネシア人から迫害を受けた多くの母子が「見知らぬ祖国」に引き上げた。日系オランダ人2世は800人とも3千人ともいわれるが、調査が行われたこと一度もなく、実数はいまも不明だ。

「戦場のメリークリスマス」のような体験が虐待に

 彼らの多くは自分のルーツである父親のことを知らされずに成長した。

「私が取材したほとんどの人たちは子どものころ『お父さんは日本人だ』『何々という名前だ』という話をいっさい聞かされなかった。でも、『何かおかしいぞ』と、子どもながらに感じていた人が多いんです。真実を10代で打ち明けられた人もいますが、60歳を過ぎてから聞かされた人もいます」

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