■「鬼化」した人間たち 

 これまで、鬼滅の物語では、鬼化しても理性を保っていた人間たちが登場した。炭治郎の妹・禰豆子や、鬼の珠世、鬼の愈史郎が、それにあたる。禰豆子の場合は、炭治郎と水柱・冨岡義勇、元水柱・鱗滝左近次の尽力と、「眠り」によってエネルギーを回復させられる自身の特殊な体質によって、人を襲うことを思いとどまった。珠世は外科的処置と少量の血液摂取によって、人喰いの欲求をコントロールし、愈史郎は、珠世の助力により、人間を喰わない状態を保っていた。この3人は「鬼の血液が体内に入った」ことで鬼化しているのだが、玄弥だけはちがう。

「鬼喰い」――玄弥は自分の身体能力の不足、「呼吸」が使えないという欠点を補うために「鬼」の肉を喰い、それを体内に取り込んで、自分のパワーへと変換させていたのだった。

■人間の「生」を逸脱するタブー

 現実世界ではもちろんだが、鬼滅の世界でも、「人間は人間を食べてはならぬ」という絶対的なルールが存在する。鱗滝は禰豆子の助命嘆願のために「もしも禰豆子が人に襲いかかった場合は 竈門炭治郎及び―…鱗滝左近次 冨岡義勇が腹を切ってお詫び致します」(6巻・第46話)と述べたことがあった。罪を犯していない兄の命を賭けるだけは足りず、「柱」と「元柱」の命をかけねばならぬほどに、「人喰い」の罪は大きい。

『古事記』において、イザナキノミコトが、妻であるイザナミノミコトを「黄泉の国」まで迎えに行った時、イザナミが「吾は黄泉戸喫(よもつへぐい)しつ」=「私はもう黄泉の国の食べ物を食べてしまったのです」、と答えていた場面がある(次田真幸『古事記』上 全注釈、講談社学術文庫、2006年)。「食べてはならぬものを食べたかどうか」、これが元の世界に戻ることができるのかどうかの境界線になるのだ。

 鬼滅の世界では、鬼化しても人間を喰わなければ、人の世を生きることが許される。では、鬼を喰った玄弥はどうなるのだろうか。玄弥が口にしてきた鬼の肉は、人間の血肉を糧として作られたものだ。間接的にではあるが、玄弥の「鬼喰い」は「人喰い」を思い起こさせる。この時点では、兄の実弥がこれをどう思うかを知る術もないが、玄弥はこの方法でしか鬼と戦うことができない。

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玄弥を「鬼化」の手前で押し留めるもの