楽ちゃんも一緒になって朝まで飲むんだけど、小澤は深夜から明け方になると「河岸に行かなきゃいけない」ってんで、そのまま抜けて築地に仕入れに行くんだ(笑)。小澤は銀座のクラブで飲むにしても自分の店の白衣を着て歩くような人でね。彼も「銀座の鮨おざわ」を背負っているっていう自負と自信があったんだと思うよ。

 飲みに行く面子は俺と小澤と楽ちゃんと岡ちゃんで、途中で「三沢(光晴)も呼ぼう」って、誘ってね。小澤の店で飲み食いしてもせいぜい2~3万円、多くても4~5万円だけど、店が終わって飲みに行くとクラブを2~3軒ハシゴするから小澤はどう見たって足が出ちゃうのに、連絡すると店を人に任せて来るくらいだから、彼も楽しかったんだと思うよ。女房に「あのときがあんたたちの青春だったね」と言われるくらい、飲み歩いたもんだ。俺は13歳からずっと相撲部屋にいたから、本当に俺にとっては青春だった。

 小澤は俺の引退試合も見に来てくれたりと、付き合いは続いている。俺が寿司屋を始めるとき、最初は回転寿司にしようと思って小澤に相談したら「天龍源一郎が回転寿司なんてみっともない!」と反対され、ちゃんと職人がカウンターで握るタイプの店にしたこともあったね。おかげでずいぶん借金がかさんだよ! 後年になってそのことを小澤に言ったら「俺、そんなこと言ったっけ?」だって。このことは俺が唯一小澤を恨んでいることだ(笑)。

 大将にもいろいろとタイプはいるけど、最低限必要なのは小さなことにこだわらず、泰然自若としていること。大鵬さんも馬場さんも、やっぱりみんなそういう雰囲気があったよ。それにつきる。あとは、気風がいいこと。やっぱりケチはダメだよ! ほら、俺もずいぶん金を使ったから(笑)。

(構成・高橋ダイスケ)

天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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天龍源一郎

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天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)/1950年、福井県生まれ。「ミスター・プロレス」の異名をとる。63年、13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門後、天龍の四股名で16場所在位。76年10月にプロレスに転向、全日本プロレスに入団。90年に新団体SWSに移籍、92年にはWARを旗揚げ。2010年に「天龍プロジェクト」を発足。2015年11月15日、両国国技館での引退試合をもってマット生活に幕を下ろす。

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