僕は昨年3月、ミャンマーとタイとの国境に近いタイ側の町メーソートを訪ねた。多くのミャンマー人が市場に買い物にきていた。大半が密入国組。ブローカーに金を渡し、山道を徒歩で越え、タイに入った。しかしここからバンコクに行くことはさらに難しい。

「メーソートは安全。ただ仕事はない。ミャンマーからもち出した金で生きるしかない」 

 彼らはそう訴える。

 いま、日本で在留資格を取り、働いているミャンマー人の多くは、2011年まで続いた軍事政権時代にミャンマーを脱出した。当時のミャンマーも若者たちに将来はなかった。船員になってミャンマーを離れ、日本の港から密入国した人も少なくない。Rさんもそのひとりだ。

「出入国在留管理庁(入管)に出頭して難民申請をするんですが、言葉がわからないからどうしていいかわからない。支援してくれる団体や弁護士がいることも知らない。半年も入管の収容所にいました」

 入国管理のルールは当時とは変わってきているが、いまは特定活動ビザをもらえれば、働きながら日本に滞在することができる。しかしそれまでの道のりはそう甘くない。

 1月末、ミャンマーから高僧が来日した。日本国内にいるミャンマー人僧侶十数人が巣鴨の寺に集まって、施設を戒檀にする儀式が行われた。戒檀というのは仏教用語で、僧侶が戒律を受ける場所のこと。寒い日だったが、ミャンマー人の僧侶たちは屋上に集まり、経を唱えた。

戒檀の儀式は1時間近くつづいた。僧侶たちは震えながら経を唱えていた   
戒檀の儀式は1時間近くつづいた。僧侶たちは震えながら経を唱えていた   

「これでこの場所が寺として認められたことになる」

 参加したミャンマー人はそういった。

 しかし施設の台所事情は厳しい。運営責任者のTさん(42)はこういう。

「この建物を手に入れるのに多くの資金が必要でした。ミャンマーや日本や世界に散らばるミャンマー人からの寄付が寄せられましたが足りない。残りは日本の金融機関からの借り入れです。その返済は月に30万円を超えます。支えはミャンマー人の寄付なので綱渡りです」

 現在、常駐する僧侶の駐在ビザがおりるのを待っている状態だ。まもなく許可が出る予定だという。そこから本格的に駆け込み寺がオープンする。

(下川裕治)

■しもかわ・ゆうじ 1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(毎週)、「たそがれ色のオデッセイ」(週)、「沖縄の離島旅」(毎月)。

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下川裕治

下川裕治

下川裕治(しもかわ・ゆうじ)/1954年生まれ。アジアや沖縄を中心に著書多数。ネット配信の連載は「クリックディープ旅」(隔週)、「たそがれ色のオデッセイ」(毎週)、「東南アジア全鉄道走破の旅」(隔週)、「タビノート」(毎月)など

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