中日時代の大豊
中日時代の大豊

 兄弟揃ってNPBでプレーした例は多い。古くは金田正一、高義、星雄、留広の4兄弟、昭和50年代から平成にかけては西武の松沼博久、雅之兄弟、近年では新井貴浩、良太兄弟が有名だ。

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 その一方で、「実は兄弟でプレーしていた」と言われて、「えっ、知らなかった」とファンが意外に思う組み合わせもいくつか存在する。

 阪神の代打の切り札として活躍した川藤幸三も、兄弟選手の一人だ。

 2歳年上の兄・川藤龍之輔は、弟と同じ若狭高から1965年のドラフト9位で東京オリオンズに入団。181センチの大型左腕は、プロ初先発の68年7月21日の近鉄戦で、鈴木啓示と投げ合い、2安打完封勝利を挙げた。

 70年に巨人に移籍すると、6月11日の阪神戦でセ・リーグ初先発。右サイドの渡辺秀武の先発を想定し、左打者を並べていた阪神は完全に裏をかかれてしまう。

 王貞治の2発の援護射撃で気が楽になった川藤は、手の内を知られていない有利さもあり、マイペースの投球で5回を2安打無失点。2対0の6回1死から本塁打を浴びたあと、打球が左手を直撃するアクシデントで降板したが、その裏、味方打線が江夏豊からダメ押しの4点を追加し、移籍後初勝利を手にした。

「先発は球場に来てから言われた」という川藤兄は「ひと回り持てばいいと思ったのに、ヒット4本ですから上出来です」と“虎キラー”をアピールしたが、2度目の先発となった同21日の阪神戦では1死しか取れず、4安打3失点のKO。「左に打たれたのではしようがないな」と川上哲治監督にため息をつかせた。

 その後は1勝もできず、通算4勝5敗で引退。阪神戦で2度先発したのに、いずれも弟は出場機会がなく、兄弟対決も実現することなく終わっている。

 中日、阪神で通算277本塁打を記録した大豊泰昭(本名・陳大豊)も兄弟選手で、1歳年下の弟・大順将弘(本名・陳大順)は、91年から2年間ロッテでプレーした。

 1年目は3試合出場(3打数無安打)に終わったが、翌92年8月18日の近鉄戦に4番DHでスタメン出場すると、2打席目に江坂政明から来日1号となる左越え同点2ラン。「真ん中高めの真っすぐ。1打席目(三振)と同じ攻め方をされたので、狙ってました」と会心の笑顔を見せたが、これがNPBにおける最初で最後の本塁打になった。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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異なる名字でプレーしていた兄弟は?