『居酒屋と県民性』(朝日文庫)
『居酒屋と県民性』(朝日文庫)

 県民性は、損したくない、倹約家だがブランド好き、結婚式引出物は派手、ポイントカードやクーポン券はしっかりためる、喫茶店の豪華過ぎるモーニングサービス、偉大なる田舎、など名古屋を揶揄(やゆ)する言辞は多い。では居酒屋はどうか。私は漠然とあまり居酒屋のない大都市だなあと感じていたが、ある時きちんと探索してみようと数日にかけて滞在したことがあった。

 その結果は「やはり、なかった」。だいたい繁華街がない。「栄があるで」と聞いて出かけたが、ビルばかりで道路はひろく、他の都市にはたいていある飲み屋横丁がないのは居酒屋好きにはつまらない。それは、車通勤社会で飲めない、ケチだから家で飲む方が安上がり、よって居酒屋文化が育たないのでその良さがわからない、などがよく言われる理由だ。

 しかし私の見方はちがう。名古屋には「大甚本店」という「日本一の居酒屋」があり、そこがすべてを吸収している。その結果なのだと。

 目抜き通りの交叉(こうさ)する広小路伏見の角、壁は黒い丸太を並べた2階家に開店4時の前から客が入りはじめ、暗い店内に座ってじっと待つ。柱時計が4つ打つと明るくなり、客はいっせいに立ち上がる。目当ては大机いっぱいに並べた様々な肴(さかな)だ。

 鯛の子煮、かしわ旨煮、寒ブナ煮、小芋煮、オクラごま和え、海老ときゅうりの酢の物、ポテトサラダ等々、季節で変わる小鉢が常時四十種あまり並び、好きなものをとってゆく。減ると大皿から次々に追加され、炊き上がっためじろ(穴子)煮の大皿が湯気をあげて届く。それだけではなく、奥のガラスケースには時季の鮮魚が並び、刺身、焼魚、煮魚、天ぷらのあらゆる注文に白衣の板前が応え、料理されて運ばれる。

 最もすばらしいのは玄関脇、赤煉瓦(れんが)へっついの酒の燗付(かんつ)け場だ。でんと据えた白木四斗樽(しとだる)の木栓をひねり、大きな錫(すず)片口に受け、じょうごで70本余りの徳利に小分けする。大きな羽釜にはつねに湯が沸き、沈めて燗をする。盃(さかずき)は隣の鍋の湯に沈んで温まり待機する。酒は広島「賀茂鶴」の大甚専用タンクから樽で運ばれる樽酒で四斗樽が1日で空になる。「酒」と言えば10秒で届く燗酒の味は日本酒究極の絶品。常連の注文は黙って指を1本立てるだけだ。

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