この先、どうなると思う? ジャックさんに質問するつもりでいたけれど、やはりできなかった。

 いまは、いまを生きるしかない。そして、社会を変えていくしかない。

 くそっ、なんなんだよ、この国は。

 私はもう一度、大きく足を振り上げる。

   *

 外国人実習生を初めて取材したのは2005年だった。21世紀の日本で、人権も人格も無視された低賃金労働者がいることを知って、私は憤りでからだが震えた。

 その後も実習生をめぐって様々な事件が起きて、多くの法令違反が発覚した。

 そのたびに政府は見直し策を打ち出してきたが、いずれも制度の根幹にメスを入れたものではなかった。制度を維持させるため、小手先の改善提案を繰り返してきただけである。

 同じように、日系南米人の労働者も、人手不足のために「利用」され続けてきた。派遣や請負といった不安定な働き方を強いられ、企業の都合で、時に放り出される。

 日本は、外国人を雇用の調整弁として扱ってきた。いや、いまもそれは変わらない。

 必要ないと思えば即座に排斥へ動くのは、国の政策でもある。

 その前線で機能しているのが入管だ。

 2021年、政府は入管法を改正し、入管当局の権限をさらに強化することを企んだ。改正の目的は、日本が「不必要」だと判断した外国人を、より迅速に国外へ追い出すことにあった。

 これに反対する市民の闘いで一度は廃案に追い込まれたものの、法案そのものが葬られたわけではない。いま、政府は再度の提出を狙っている。

 あえて強調したい。こうした政策を支えているのは、いや、呼応しているのは、日本社会の中に居座っている「排他の気分」だと私は思っている。

 長きにわたり、日本社会は内に差別と偏見を抱えてきた。外国人を貶め、時に「敵」だと認識し、差別を正当化し、それを政策にも盛り込んできた。

 いま、様々な場所で問題となっているヘイトスピーチも、急に生まれたわけではない。差別の形は時代に合わせてリニューアルを繰り返してきただけだ。

 私たちは、私たちの社会は、いまだ差別を克服していない。