■風景としての無作為性と非叙情性

 2年ぶりの木村伊兵衛写真賞。これまで時折私などに届く「木村伊兵衛写真賞はアート方向に傾いている」といった声に、私なりの声で返さないといけないという妙な使命感も感じ、初の「選考会」そのものに緊張した。

 推挙された多くの作品は見ごたえあるもので、写真表現の厚みとして極まっていたのが印象的だった。最終候補作となった5作品はこのコロナ禍という険しいフィルターを通すと別の見え方が指し示されているのは異論もなく、4作はすでに以前から拝見していたが、それぞれしっかり一つの段落を記している。完成度の高さとキャリアでは西野壮平氏の仕事は群を抜いている。木村伊兵衛写真賞の「新人」をいかに捉えるか論議があったことは記しておきたい。

「新人」としての吉田志穂氏の作品は、「あざみ野」や「都写美」などでインスタレーションとして空間の中で感じ、体験する出来事として味わってきた。正直にいえば、その全体像をなかなかつかめぬまま展示会場の暗がりで、一人のおじさんとして腕を組んで戸惑っていたことが悔やまれる。

 しかし作品からは「一途な凄み」が感じられた。ネット上で集積された途方もない画像の山そのものが風景としての無作為性と非叙情性を表している。実地への「探査」を加えればそれらは19世紀の旅行写真家たちが抱えた「遠い異邦への夢」の新たな展開にも思え、無限遠の枠組みといった大きなスケール感を伴いイメージの領域に迫ってくる。今後は「山と鯨」にとどまらず、さらに関心を深めた事象から、文化や歴史といった世界像あるいは人間の記憶の深淵にまでつなげてほしい。「まだ見ぬそこ」に、私たちはみんな向かっているのだから。

 最後になってしまったが、個人的には「人間のありようを探る」という写真メディアの大切な一点を素朴に伝えている、福島あつし氏の「ぼくは独り暮らしの老人の家に弁当を運ぶ」を深く心に刻んでおきたい。同じように人や風景を時間をかけてコツコツと素朴に撮り続けている東京や関西、地方の自主ギャラリーなどで活動しているたくさんの若い写真家たちに、その地点からまだ頑張れるはずだと知らせたい。

 そして私たち選考させていただく側も、都市部の美術館や現代美術ギャラリーの枠に収まることなく、場を重ね、広く「写真」と「今」を見つめ続けていかねばと思う。(写真家・大西みつぐ氏) 

【吉田志穂氏プロフィール】

1992年千葉県生まれ。2014年東京工芸大学芸術学部写真学科卒業。東京都を拠点に活動。主な展覧会に、「記憶は地に沁み、風を越え 日本の新進作家 vol.18」(東京都写真美術館、2021)、「あざみ野フォト・アニュアル とどまってみえるもの」(横浜市民ギャラリーあざみ野、神奈川、2021)、「TOKAS-Emerging 2020」(トーキョーアーツアンドスペース本郷、東京、2020)、「Quarry / ある石の話」(ユミコチバアソシエイツ、東京、2018)など。「第11回写真 1_WALL」グランプリ受賞(2014)、「第11回 shiseido art egg」(2017)入選、「Prix Pictet Japan Award 2017」ファイナリスト。

(文/写真編集者・池谷修一、木村伊兵衛写真賞事務局)