相撲代表として「UFC 3」に参戦したヤーブローは、拳法をバックボーンに持つキース・ハックニーと対戦。90kg超であったハックニーに対し当時ヤーブローは280kgほどであったと伝えられ、両者の体重差は約190kg。しかし、にじり寄るヤーブローをハックニーは関節蹴りでけん制し、蹴り足を取られるも逆にパンチを見舞ってダウンさせ、そこからパウンドを連打しTKOで勝利した。

 巨体を生かせず総合格闘技デビュー戦では敗れたヤーブローだが、翌年の世界相撲選手権優勝を経て日本マットに進出。98年に2試合を行い、UWFで活躍した中野龍雄には上四方固めで圧殺し勝利したが(98年4月、「SHOOT THE SHOOTO XX」)、高瀬大樹にはグラウンドから逃げられやはりパウンドを集中打され敗れた(98年6月、「PRIDE.3」)。

 世紀をまたぎ2002年から日本に登場したボブ・サップは160kgを誇り、当初は100kg前後の山本憲尚、80kg台の田村潔司と、対戦者は体格差のある試合を強いられた。総合での初黒星となった「Dynamite!」でのアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ戦でも体重差は55kgにおよび、ノゲイラが猛攻を跳ね返し一本勝ちを収めたことで大スペクタクルが生まれたが、“柔術マジシャン”をしても無茶と感じられたマッチメイクだった。

 その後UFCがルールと階級の整備により体格差のある戦いが見られなくなっていったのに対し、日本では大vs小の構図が一般層にも分かりやすく、また“小よく大を制す”場面を期待してか、その後もこの戦いが見られていった。

 体重差110kgの須藤元気vsバタービーン(2003年12月)、140kg差のホイス・グレイシーvs曙(2004年12月)、80kg差のエメリヤーエンコ・ヒョードルvsズール(2005年12月)、60kg差のヒョードルvsチェ・ホンマン(2007年12月)、74kg差のミルコ・クロコップvsバルト(2016年12月)などがあり、ミノワマンも無差別級マッチの常連で、230cmのジャイアント・シルバやサップ、ホンマンといった超巨漢と戦いを繰り広げ、DREAM時代には無差別級トーナメントで優勝を果たした。

次のページ
今後は無茶な体重差の戦いは消滅?