近鉄は人気チームでは無かったので、交渉も阪神時代と比べて苦労もある。そこに一手があった。事前に球団社長と契約金のアップ額を決めておく。交渉の途中、選手の家で電話を借りて、社長とアップ額の直談判をしてみせる。このやりとりに選手の家族は、社長まで相談してくれたと感動し、入団に前向きになる。全ては事前の打ち合わせ通りである。

 一方で、指名した選手が芽が出ず、球界を去る時、河西は「親に一人前にします」と約束しながら、解雇のとき何の手助けもできない非力さを悔やんだ。あのときプロに勧めなければよかったと深く悩んだこともある。スカウトとはそんな仕事なのである。

 98年のオフである。すでに河西はスカウトを辞めていたが、突然ある若者から電話が掛かって来た。彼は「日本生命の福留です」と名乗った。福留は中日に入団が決まったこと、お会いしてご挨拶をしたいと告げた。河西は答えた。

「わしはあんたのことは、少しも悪う思うとらんで。胸張って何も気にせんと中日で頑張りなさい。いつまでも引きずったらあかんで」

 福留は深く頷いた。もう一つ逸話がある。掛布の背番号「31」は、阪神時代の河西と同じだ。その真相はわからないが、同じ番号と初めて知った時の掛布の目は喜びにあふれていた。(澤宮 優)

■プロフィール
澤宮 優(さわみや・ゆう)2004年『巨人軍最強の捕手』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。主な著作に『スッポンの河さん』『バッティングピッチャー』((集英社文庫)、最新刊に『イップス』(角川新書)など。