その典型が、市立和歌山商業の左の巧打者藤田平(後阪神監督)である。彼は甲子園大会で活躍したが、体重が64キロと体が細いのが難点だった。そのため大洋監督の三原脩、南海監督の鶴岡一人も興味を示しながら、獲得を見送った。ところが河西の見方は違った。

「体はひ弱かったが、それを上回る抜群の体の柔らかさとセンスがある」

 問題は体だ。しかし河西の長年の経験で、男の子はいずれ母親の体型になることを知っていた。母親のお尻が大きければ、選手も足腰が頑丈になる。藤田の母親も体格がよかった。

「高校生を見る時は、母親のお尻を見ろ」

 これが彼の常套句である。交渉の要点は母親を取り込むことだ。部の監督や父親を陰で動かすのは母親である。発言力もある。母親が風邪をひくと花束を持ってゆく。母親は直観も鋭く、すぐに嘘を見破ってしまう。そのためものを言うのは誠実さだ。

 藤田は徐々にがっちりした体格になり、首位打者も獲得し、通算安打は2064本を記録した。後に三原も鶴岡も藤田の活躍を、歯噛みして悔しがったという。

 河西の口癖は、「金は金や。銅は金にはならん」である。そのため彼は選手の見極めが早かった。一回見て、獲るか、獲らないかを即座に決める。何度も同じ選手を見に行くと、活躍するときもあれば、3打席連続3振をする日もある。そうなるとますますその選手の評価がわからなくなってしまう。判断に迷うから何度も見てしまうのだ。そこで信頼できるのは第一印象である。その直感で河西に印象を与えたのが、ミスター・タイガース掛布雅之だ。

 掛布との出会いは、高校2年生の掛布を千葉県予選で見たのがきっかけである。全国的に有名でないが、打撃センスがあるという情報を耳にしていた。

 掛布は三塁を守っていたが、守備は下手で、走り方も恰好がよくなかった。だが彼が打席に入ったとき河西の目が鋭く光った。

 今まで浮ついていた動きが、瞬時に止まり、あたりを睥睨して打席に入る仕草は大打者の風格を持っている。不動心で、投手の動きに一喜一憂せずにボールを静かに待つ。懐が深いという印象を持った。外野フライに終わったが、これは間違いなくスターになる予感がした。

 河西は無名の掛布を何とか入団させたく、3年生の秋に甲子園で一週間練習に参加させ、最終的にドラフト6位で指名した。テスト入団では契約金がでないので、河西は6位にしてくれたのである。河西と親しい横浜ベイスターズ元編成部長の高松延次は語る。

「技術を見て、いい悪いと言うのは誰でもできる。だけどスター性があるかどうかは河西さんにしかわからない。ドラフト制度以前の自由競争の時代にもまれ、いい選手を獲ったから見えてくるのであって、言葉では表せないし、人には教えられない眼力です」

次のページ