領土拡張など望むべくもない直家は、宇喜多家の存続だけに集中する。垣根涼介の言う「大勝ちは目指さず、負けない戦いを続けることこそがこの人物の命題だったのではないか」という視点、これこそが現代日本を生きる我々と響き合う点である。

 GAFAに象徴される巨大IT企業に支配される世界において、すっかりプレゼンス=存在感をなくした日本は、これ以上経済成長が望めない現状のなか、我々はこれから「大勝ち」ではなく、死ぬまで走り続けながら「負けない戦い」に挑んでいかなくてはならない。

 垣根涼介が『涅槃』というタイトルに込めた思いが、じんわりと伝わってくる。果たして『涅槃』はどこにあるのか、いつになれば人生に安定・安息は訪れるのか。

 もうひとつ、この小説では直家と幾人かの女性との濃厚な交わりが描かれる。最終的には武士でありながら相手の女性の家柄に拘らず、政略もなく、滅んだ武門の娘であるお福と純粋に恋愛をし、最後まで添い遂げる。実はこれも武将にあるまじき異色なことである。ここでは本当に愛する相手と心根から性愛まで、通じ合うということについて徹底的に描かれている。

 様々な解釈をほどこせる多面的な小説であるが、しかし読者はただ物語の起こす流れに身を任せればいい。上下巻1800枚もあっという間で、ただ心地よく面白く、気付けば読後、とてつもない視点を獲得していること必定である。

「自分は何故、このような星の許に生まれついたのか。私とは、いったい何者なのか。果たして己に、この世に居場所などあるのだろうか。などという悩みは、人を幼い頃から驚くほど早熟にさせる。何故なら人知とは、常に自分の足元を疑うことの弛まない連続からしか生まれてこないからだ。永久に答えが出ることのないその自己懐疑の繰り返しを経て初めて、人はこの浮世と自分との関係に折り合いをつけることが出来る。自分の居場所を見つけることが出来る。つまりはそれが大人になるということでもあり、生きていくということでもある。(『涅槃』本文より)」

書籍編集部 牧野輝也)

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