■負けない戦い、『涅槃』と宇喜多直家

 かつては『ヒート アイランド』『ワイルド・ソウル』『君たちに明日はない』等の作品でエンタメ小説界にその名を轟かせ、さらに近年は『光秀の定理』『室町無頼』『信長の原理』と、歴史小説のフォーマットを刷新してきた小説界の革命児・垣根涼介。

 今回挑んだのは、備前の戦国大名・宇喜多直家の生涯である。お世辞にも信玄や信長らのような一線の武将とは言えず、謀略・謀殺・奸計をめぐらせた卑怯者――むしろ死後から現在に至るまで、悪評が先に立つ。そんな異色の武将・宇喜多直家を、なぜ今、垣根涼介は書いたのか。

 確実に言えるのは、垣根涼介が書く歴史小説には、鋭い現代性が込められているということだ。

 たとえば『室町無頼』で描かれた時代背景・応仁の乱前夜は社会格差が広がり、時の政権は無為無策の世界だった。『信長の原理』ではパレートの法則を援用し、いつでも組織上で、ある限られた割合の人間しか活躍できないこと、また徹底的な合理性を追求した果てに待っている組織の破綻について真正面から論じている。

 いずれも現代と重なり合う視点である。では、『涅槃』の現代性とは何か。

 物語は直家の幼少時代から始まる。備前の武門に生まれたものの、祖父が討たれて一家は零落、備後鞆の津に落ち延び、商人・阿部善定の庇護のもとに暮らす。父親は甲斐性がなく、阿部家の娘に子供を産ませた挙句、自殺してしまう。

 宇喜多家再興の夢はまだ幼い直家に託されるが、一方で直家は善定たちの暮らしや生き様を見ながら商人に憧れるようになる。商家で育った武将は歴史上おそらく彼くらいだろう。そして規範や精神論に縛られる武士たちよりも、合理に基づいて生きる商人たちの生き様の方が遙かに自由だと感じるのだ。

 信長が「楽市・楽座」など経済政策に意識的だったことは知られている。が、宇喜多直家はそれ以前に、「街道と大河を交わらせた交通の要衝に、商人と武士が融合した城郭都市を築く」という構想のもと、我が国初めての城下町である現在の岡山市を築いている。かなり合理的な思考の持ち主だということがわかる。

 だが、直家の現代性はこの程度では収まらない。直家はやがて宇喜多家を再興し、群雄割拠の地であった備前を統一するのだが、既にその頃には東には織田家が、西には毛利家という巨大な武門が、備前・備中を狙って迫ってきていた。

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