69歳で亡くなった、鍜治真起さん(c)朝日新聞社
69歳で亡くなった、鍜治真起さん(c)朝日新聞社
米国では巨大な「SUDOKU」ボードでのイベントなども催された。2006年6月(gettyimages)
米国では巨大な「SUDOKU」ボードでのイベントなども催された。2006年6月(gettyimages)

 9×9の正方形の枠に、ひと桁の数字を埋めていく世界的な人気パズル「数独」の名付け親で、パズル出版社「ニコリ」前社長の鍜治真起さんが10日、胆管がんのため都内の自宅で死去した。69歳。16日、同社が発表した。葬儀は近親者ですでに行なっており、後日、お別れの会を開く予定だという。

【写真】数独は世界で人気。巨大ボードを使ったニューヨークでのイベントはこちら

 1980年に、友人たちと日本初となるパズル専門誌「パズル通信ニコリ」を創刊。雑誌が提供するパズルを解くだけではなく、読者が自分で考えたパズルの投稿もできる「読者参加型」の雑誌だった。その後、83年に株式会社ニコリを立ち上げ、社長に就任した。

 いまや世界でも「SUDOKU」として定着し、2億人以上が楽しんでいるとされる数独。鍜治さんが日本で世に出したのは84年ごろのことだ。

■「数独」名前の由来

 9×9の正方形の枠に、3列3段のブロックがあり、1から9までの数字を重複しないように埋めていくシンプルなパズルだが、もとはアメリカの雑誌に掲載されていた「ナンバープレイス」というパズルだった。これを鍜治さんが見つけ、雑誌で紹介した形だ。

 ひと桁の数字で、さらに重複しないことから「シングル…独身」などと発想を広げ「数字は独身に限る」という風変わりな名前を付けた。その後、略されるようになり「数独」の呼び名が定着した。

 国内で人気を広げていった数独だが、先に爆発的なブームが起きたのは海外だった。

 きっかけは2004年に、数独が大好きだったニュージーランド人がイギリスを代表する新聞社「タイムズ」に自分で考えた数独を持ち込んだこと。紙面で「SUDOKU」として取りあげられると、その面白さから一躍、欧米で人気となった。その後、06年に“逆輸入”される形で日本でも人気に火がついた。

 2006年の「ニューズウィーク日本版」で「世界が尊敬する日本人100人」に選ばれた鍜治さん。数独以外にも数多くのパズルを発表し続けた。海外では「Godfather of Sudoku(数独の父)」と呼ばれることもあり、世界中を渡り歩いて数独やパズルの面白さを伝え続けた。

著者プロフィールを見る
國府田英之

國府田英之

1976年生まれ。全国紙の記者を経て2010年からフリーランスに。週刊誌記者やポータルサイトのニュースデスクなどを転々とする。家族の介護で離職し、しばらく無職で過ごしたのち20年秋からAERAdot.記者に。テーマは「社会」。どんなできごとも社会です。

國府田英之の記事一覧はこちら
次のページ
新しいパズルビジネスを夢見て…