お盆で行うさまざまな行事は、仏教のものだと思いがちだが、実は元をたどるとまったく違うことがわかる。
インドから中国へ伝わった仏教は、儒教などの影響を受け、祖先崇拝の要素が取り込まれた。もともとのインド仏教には、偶像を作ることも祖先を敬う考えもなかった。仏教が東アジアへ広がるにつれ、仏像が誕生し、祖先(自然も含む)を大事にすることで現在に福がもたらされる、といった教えに変化していくのである。
ちなみに、われわれが仏壇に置く「位牌」も、本来は儒教の葬礼から派生したものだ。死者の「官位」を書く「牌」(ふだ)という意味から来ていて、日本で一般に広まるのは江戸時代になってからである(教義によって位牌を用いない宗派もある)。
●八百万の神々が住まう国
仏教が正式に日本に伝来したのは、552(あるいは538)年とされているが、それ以前から日本には祖先崇拝があった。神道の考え方とも土着信仰とも言われているが、土地に定着して食べ物を得てきた縄文時代末期にはすでに先祖に対して感謝するならわしがあったようだ。このため、仏教が日本へ入ってきてすぐに、仏教は祖先崇拝と融合した。むしろ入ってきた仏教に祖先崇拝があったからこそ、すぐに日本に広まっていったといってもよい。キリスト教など西欧で生まれた宗教には、先祖に対する教義がなく、また「死ねばみんな仏となる」といった多神の考え方も、古来、八百万の神々が存在してきた日本人にはすんなりと受け入れられたのだろう。
●神さまと仏さまの違いは
仏教伝来当初は、排仏派(仏教反対派)の物部氏と崇仏派(仏教推進派)の蘇我氏(加えて聖徳太子)が争い、やがて戦にまで発展するほどだったが、次第に(平安時代にはすでに)仏教と神道は融合していき、神社とお寺の線引きはどんどん曖昧になっていく。
一番数が多いと言われる八幡神社を例にとれば、ながく守護神は八幡大菩薩という名の仏さまだったのである。つまり、江戸時代までは神さまでもあり仏さまでもあった。こうして日本では、神さまと仏さまは一体であり、別名をもつものと考えられてきた。天照大神は大日如来であり、素戔嗚尊(スサノオノミコト)は牛頭天王(ごずてんのう)、大国主神は大黒天というように、八百万の神々は仏の化身であるという考え方(これを本地垂迹〔ほんじすいじゃく〕説という)で吸収したのである。ちょっと仏教が強くなった時代なのだろうと思われる。