開幕当初は代打が主な役割だった「30歳のルーキー」は、5月下旬から正右翼手に定着し、終わってみれば全162試合中151試合に出場。いずれもチーム3位の打率.288、出塁率.355、同2位の37二塁打をマークし、ホームランも2ケタの10本を数えた。ナ・リーグの新人王投票では5位に終わったものの、30盗塁はリーグのルーキーではトップ。ちなみにメジャーでシーズン30盗塁以上を記録した日本人選手は、ほかにイチローと松井稼しかいない。

 翌2013年は主に1番・ライトでチーム最多の155試合に出場し、打率.286はチーム2位、出塁率.356は同1位。前年より20本以上多い171安打を放ち、うち単打140本はリーグ最多、内野安打40本はメジャー全体でも2位と、高いミート力を武器にヒット職人に徹した。走ってはチーム3位の20盗塁、守ってもリーグ10位の9補殺。派手さはなかったものの、シーズン終了後には全米野球記者協会ミルウォーキー支部により「ブルワーズ陰のヒーロー」にも選出された。

 ブルワーズでスタープレーヤーの地位を確立したかに見えた青木だが、その後はジャーニーマンとしてのメジャーリーグ人生を歩むことになる。翌2014年は29年ぶりの優勝を狙うカンザスシティ・ロイヤルズにトレードされると、新天地でも主に1番・ライトでいずれもチーム2位の打率.285、出塁率.349。9月はア・リーグ3位の打率.379と打ちまくり、チームのポストシーズン進出に貢献する。

 オークランド・アスレチックス相手のワイルドカードゲームでは、土壇場の9回に同点の犠牲フライを放ってサヨナラ勝ちを呼び込むと、続くロサンゼルス・エンゼルスとのディビジョンシリーズ、ボルティモア・オリオールズとのチャンピオンシップシリーズでは、全7試合に2番・ライトで先発して打率.304。チームはワイルドカードゲームから負け知らずの8連勝で、青木はメジャー3年目にして初めてワールドシリーズの舞台に上がることになる。

 ところが、サンフランシスコ・ジャイアンツとのワールドシリーズでは、第6戦で放ったタイムリーが青木にとって唯一の安打となり、チームも3勝4敗で敗退。チャンピオンリングを手にすることはできなかった。そのオフに自身初のFAとなり、移籍先に選んだのが“世界一”の座をかけて争ったジャイアンツであった。

次のページ
ジャイアンツでは好スタートを切ったが…