なお、この記事を書いた芸能ジャーナリストの渡邉裕二は当時、この曲の発売記念イベントを観覧。「司会者の質問に無愛想に返答するなど、どこか不機嫌そうだった」という印象を語り、富岡は「おそらく楽曲について、あまり聞かれたくなかったのかもしれませんね」と答えている。

 また、売野は「少女A」を機に明菜にとって重要な作詞家となるが、本人に会ったのは一度だけだという。

「明菜さんが何か言ったら、僕に失礼になるとディレクターが気を遣ってくれていたようで。(略)挨拶を交わしましたが、ふて腐れている様子で、目も合わせてくれませんでした(笑)」(週刊ポスト)

 ではなぜ、売野は16歳の少女が嫌がるような詞を書いたのか。それは、新進作詞家らしい野心からだった。朝日新聞デジタルの取材によれば、アイドルの詞に初挑戦するにあたり「歌謡曲の世界には媚びた言葉があふれ、似たような語彙が、そのシステムの中で繰り返されている。(略)その枠内ではなく、外で曲を作りたい」と考えたとのこと。そこで「反社会」というコンセプトを思いつき、事件報道用語である「少女A」というタイトルが導きだされた。しかも、最初は「少女A(16)」というもっとそれっぽいものだったという。

 とはいえ、いい詞がなかなか浮かばないため、以前、沢田研二に書いてボツになった詞を再利用することに。年配の男が少女をナンパする「ロリータ」という詞だ。それを少女の側から描いてみようと思い立ったのである。

 こうしてできあがった詞に、芹澤廣明の曲があてられた。こちらはこちらで、すでにあるストックのなかから、合うものを選ぼうという異例のやり方。その結果、百恵の「赤い絆(レッド・センセーション)」の歌謡ロック色を強めたようなあのメロディーに決まったわけだ。

 ちなみに、芹澤もまた「少女A」で高く評価され、80年代を担う作曲家となっていく。翌年には、チェッカーズのデビュー曲「ギザギザハートの子守唄」を康珍化(かん ちんふぁ)とのコンビで手がけた。前出の「うっせぇわ」絡みで「似ている」とか「パロディー?」などと再注目された作品だ。

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明菜の中に鬱積していた「何か」