取材当日、鬼頭さんはひさしぶりの外出で、住んでいる名古屋と東京を移動。さらには憧れの押井守さんと取材で対面しました。精神的に揺れの大きい一日だったでしょう。意外なことにその日の出来事で、鬼頭さんがもっとも心に深く残ったのは取材ではなく、取材後の飲み会でした。取材には鬼頭さんと同じようにひきこもっている人たちが参加しました。取材後の飲み会で、緊張したことを共感しあったり、失敗を笑いあったり。そんな時間がなによりも楽しかったそうです。

 この日の飲み会を機に、鬼頭さんはひきこもり当事者グループの集まりに積極的に参加するようになります。あまり知られていませんが、20代以上の当事者グループならば、集まりの後は飲み会もよくします。そして、名古屋付近の当事者たちの飲み会には必ずと言っていいほど参上したのが鬼頭さん。しだいにお酒好きが高じてきて「キトウバー」という飲み会も主宰。多いときは50人以上が集まる飲み会を開催していました。私も参加したことがありますが、鬼頭さんは飲み会が始まると各テーブルを回り、会話に入ってみんなを和ませ、お酒を勧めて場を回していました。始めて何年かしたころには、すでにホスト(主宰者)として立ち回れていたのです。

 そして2018年には屋台形式の「モバイルバー key to(ハードリカー)」をオープンしました。10年に及ぶひきこもりは気がついたら終わりを迎えており、鬼頭さんはバーのマスターになっていたのです。

 鬼頭さんはどうしてひきこもりを脱することができたのでしょうか。本人に聞いてみました。

「おそらく『やり切った感』があるからかな。実は、株取引のほかに新聞配達もしました。でも、ことごとくダメだったんですよね。そのときに『もう無理だ。ふつうに生きるのはあきらめよう』と思った。そのあたりから、ひきこもりから抜け始めたんだと思います」

■    サイコパスな人間になっていたかもしれない

 ふり返ってみると、鬼頭さんの身に起きたことは「ひきこもり」という言葉だけでは語り切れないものでした。「ゲーム廃人」や「リーマンショックでの散財」などには人間臭さも感じます。

次のページ
生き方は枠組みにとらわれなくていい