鬼頭さんの話で、私が念を押したい点が一つ。鬼頭さんはそもそも社交性が高い人だったかもしれません。しかし、そういう人でもひきこもりにはなります。どんなキャラの人でも、ひきこもりにはなります。誰にだってきついとき、立ち止まりたいとき、人と関係を断ちたいときがあります。その期間を「ひきこもり」「落ちこぼれ」「なにもしていない」と否定的に見るのではなく、その人が変わるために必要な時間だったと周囲も本に人も思えること。それが大事だと思うのです。

 鬼頭さんも、ひきこもり期間は人生で無駄ではなかったととらえていました。最後にこんな話をしてくれました。

「きっと不登校やひきこもりをしていなければ、嫌な人間になっていたんだろうと思います。中学生のころの僕は、人間関係で駆け引きをするなど人の気持ちを考えない人でした。ひきこもっていなければ、サイコパスな人間になっていたのでは、と。また、ひきこもっていなければ出会えなかった人もたくさんいます。そういう出会いのなかで、人の生き方は枠組みにとらわれなくてよいんだと肌で知ることもできました。それもよかった、と思うことです」

 鬼頭さんにとってひきこもりは、前半は「心を落ち着かせる期間」で、後半は「自分なりのライフスタイルを見つける期間」だったのではないでしょうか。外側からは見えなくても、内側では劇的な変化を遂げる「さなぎの時間」は誰にだって必要です。鬼頭さんのように、家にいながらも目まぐるしい変化を見せてくれた人と出会うと、その思いはより一層、強くなるものです。そして「ふつうに生きるのはあきらめよう」というのはいいなあと思いました。(文/石井志昂)

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石井志昂

石井志昂

石井志昂(いしい・しこう)/1982年、東京都町田市出身。中学校受験を機に学校生活があわなくなり、教員や校則、いじめなどを理由に中学2年生から不登校。同年、フリースクール「東京シューレ」へ入会。19歳からNPO法人全国不登校新聞社が発行する『不登校新聞』のスタッフとなり、2006年から編集長。これまで、不登校の子どもや若者、識者など400人以上に取材してきた

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