1982年のアメリカ大統領宣言によるとインフォームド・コンセントとは、医療者と患者の相互の尊重と参加に基づいた意思決定を協力して行う過程とされています。

 つまり先の例の、判断材料となる医療情報を患者さんに提示し決めてきてもらうのをインフォームド・コンセントというのではなく、決定まで共有することが本来の意味です。

 最近ではこれを「Shared decision making」(共有する意思決定)と呼び、意思決定まで医者と患者さんでちゃんと共有しましょう、と学会などで呼びかけられています。

 以上が本来のインフォームド・コンセントの理念です。しかし、医者が決定を共有してくれるとして、患者さんは本当に望ましい選択ができるのでしょうか?

 そもそも医療に対する知識のバックグラウンドが違います。いくら丁寧に説明を受けたからといって30分や1時間ですべてを理解できるとは限りません。また患者さんの中には、副作用がたとえきつくても頑張って治療したい人と、苦しいことはなるべくせずに毎日を過ごしたい人では選択が異なる場合があります。個人の価値観や現状に合わせて、治療方針は変わっていくはずです。

 さらに、現代医学では治らないと言われた状態で「絶対に治ります」と宣言する民間療法に心奪われ、選択を間違ってしまうことだってありえます。決定さえ共有していればすべてOKとはいかない状況も多いのではないでしょうか?

「本人が納得していれば、たとえ間違った選択だとしても他人に迷惑をかけなければ良いとする考え」はジョン・スチュアート・ミルが提唱した愚行権という概念です。

 しかし、愚行権の先に不幸な未来が確実に訪れるとわかっていたとしても、愚行権を尊重すべきでしょうか。家族や主治医は、患者さんが後悔しないように望ましい選択をしてほしいと思うのではないでしょうか。

 そこで最近注目されているのが、「リバタリアン・パターナリズム」という概念です。2003年に行動経済学の分野で提唱された言葉です。

 個人の選択や行動の自由を権力が阻害せず、かつ「より良い結果」に誘導する思想のことを指します。

 より良い結果が期待できる選択肢に重みをつけて患者さんに説明する。

 患者さんの価値観を医師がしっかりと理解していれば、理想的なインフォームド・コンセントになることでしょう。

 ただしこの方法は医師と患者間で意思疎通がしっかりとできていないと医者の一方的な偽善で終わってしまいます。

 また、なにが望ましいかなんて患者さん本人ですらわからないこともあります。自分が当事者となって、自分の行動や心の変化にはじめて気がつくことがあります。どんなに精神的に強い人でも、抗がん剤の副作用が続けば治療意欲は低下してしまうものです。

 医者と患者さんがともにいろんな可能性を考えながら、その中で医者が「この患者さんにとって良い選択肢はこれ」という意見を提案し、治療方針を決めていくのが大事なことだと思います。

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大塚篤司

大塚篤司

大塚篤司(おおつか・あつし)/1976年生まれ。千葉県出身。医師・医学博士。2003年信州大学医学部卒業。2012年チューリッヒ大学病院客員研究員、2017年京都大学医学部特定准教授を経て2021年より近畿大学医学部皮膚科学教室主任教授。皮膚科専門医。アレルギー専門医。がん治療認定医。がん・アレルギーのわかりやすい解説をモットーとし、コラムニストとして医師・患者間の橋渡し活動を行っている。Twitterは@otsukaman

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