高校野球の国体優勝校という条件も含めると、巨人やメッツなどで活躍した左腕・高橋尚成もギリギリながら条件を満たしている。

 修徳高時代は夏の甲子園8強止まりも、同年秋の東四国国体(徳島・香川)では、初戦で常総学院に逆転勝ちして勢いに乗ると、決勝で小林西高を10対0で破り、公開競技ながら日本一を達成した。

 そして、次なる幸運は、駒大1年時の94年。プロ注目の右腕・河原純一(元巨人-西武中日)や主将の高木浩之(元西武)らタレント揃いのチームは、決勝で近大を5対2で下し、2年ぶりの日本一に輝く。高橋自身は登板機会がなかったものの、高校時代に続いて大学でも日本一を経験した事実に変わりはない。

 その後、駒大のエースとなり、通算17勝を記録した高橋は、東芝時代の99年の都市対抗では、優秀投手に選ばれる活躍で、8年ぶり日本一の立役者となった。

 さらにプロ入り後も、巨人ルーキー時代の00年、初の二桁勝利を挙げた02年、2年連続二桁勝利を達成した09年と3度にわたって日本一を経験している。

 惜しくもあと一歩で完全制覇を逃したのが、近鉄の外野手・内匠政博だ。

 PL学園では1番打者として、同期の桑田真澄、清原和博とともに85年夏の甲子園で全国制覇。近大時代も4年時の89年に同期のエース・酒井光次郎(元日本ハム阪神)とともに全日本大学野球選手権で優勝し、日本生命時代の92年にも都市対抗優勝と、高校、大学、社会人のすべてで日本一になった。

 だが、近鉄時代は01年に12年ぶりのリーグ優勝を実現しながら、日本シリーズでヤクルトに敗れた。もっとも、内匠自身はこの年1軍出場なしで終わっているので、仮に日本一になっていても、前出の若井と同じ立場だったのだが……。

 同じPL出身の宮本慎也(元ヤクルト)も惜しい一人だ。高校時代は1年先輩の立浪和義(元中日)らとともに87年夏の甲子園優勝メンバーになり、同大2年時の90年秋の明治神宮大会でも、PLの先輩・片岡篤史(元日本ハム‐阪神)とともに大学日本一の座についた。

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松坂の高校時代の“女房役”も…