「柏田や高橋の例から考えて、MLBでの可能性を感じていたのは山本昌、岩瀬仁紀(ともに中日)の両左腕。山本は高橋同様にスクリューが決め球。制球力も高く、キレの良いカーブもタイミングを外すのに良い。若手時代にマイナーリーグのプレー経験があるのも大きい。岩瀬は右打者の外側へ鋭く曲がるシュートが武器になる。大きなスライダーもあったので、短い回なら打者の左右問わず、確実に計算できた」

 山本はプロ通算29年間で581試合に登板し、219勝165敗、5セーブ、防御率3.45の成績。球速はないものの、多くの球種を変則的なモーションからきっちりと投げ分けられた。88年には野球留学の形で、ベロビーチ・ドジャースでもプレーしている。岩瀬はプロ通算19年間で、1002試合に登板し、59勝51敗407セーブ、防御率2.31。NPBにおける最多登板と通算セーブ数の記録保持者でもある。

「MLB挑戦はタイミングが重要。和田毅(オリオールズほか、現ソフトバンク)、藤川球児(カブスほか、昨季限りで引退)の例が物語っている。2人とも渡米した時期が故障発症と重なり、新加入1年目でトミー・ジョン手術を受けた。その後、日本球界へ戻ってからの活躍は素晴らしい。しかし獲得当時の球団からすれば即戦力として考えていたわけだから、失敗だったと判断されてしまう」

 和田は11年オフに海外FA権を行使し、オリオールズと契約。米1年目の12年春キャンプでひじ痛を感じ5月に手術、翌13年シーズンの終了まで2年間メジャーでの登板はなかった。同年オフにカブスとマイナー契約、14年はメジャーで13試合に登板して4勝4敗、防御率3.25と結果を残す。15年も米国でプレーした後、同年オフに古巣・ソフトバンクへ復帰した。

 藤川は12年オフに海外FA権を行使しカブスと契約も、和田同様、米1年目の13年6月に右ひじを手術。翌14年に復帰するも15試合の登板で防御率4.85と結果を残せず、オフにFAでレンジャーズに移籍となった。15年途中に自由契約となり帰国、独立リーグを経て同年オフに阪神に復帰となった。

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野手で通じた可能性があったのは…