■「オヤジと思ってくれていい」植木等さんの優しい言葉

 応募者は600人以上いたそうですが、なぜだか自分が選ばれる確信がありました。そして運命は私を見放しませんでした。給料はセールスマン時代の10万円から、いっきに7千円に下がることになりましたけど、もちろん気にしません。ようやく夢への一歩を踏み出すことができたわけですから。
 
 最初は植木さんのことを何て呼べばいいのかわからず、「先生、先生」って言ったら「それはやめてくれ」って(笑い)。「オヤジでいいよ」と言ってくれました。実は私は中学生の頃に父を亡くしたんですが、そのことを知っていて「私のことをオヤジだと思えばいいよ」って、優しくおっしゃってくれたんです。以来、植木さんのことは「オヤジさん」って呼ぶようになりました。
 
 時代は、ハナ肇とクレージーキャッツの全盛期。テレビや映画、舞台に引っ張りだこの大人気。とにかく忙しかったですね。運転手の私もずっと一緒でしたから、1週間で10時間くらいしか寝ていなかったんじゃないでしょうか。
 
 コメディアンとしてのチャンスがやってきたのは、梅田コマ劇場の公演の時です。コントからバンド演奏にかわる幕間のタイミングで、ハナ肇さんから「5分間、何かやってつないでみろ」と言われたんです。気合いを入れて5分間にかけました。ずっこけたり、パンツ1枚で踊ってみたり……。

 ところがこれがまったくウケない。何度かやってウケず、次が最後というときに、映画評論家の淀川長治さんのモノマネがひらめいたんです。「ハイ、またまたまたお会いしましたねー」って。これが大ウケ。こんな苦肉の策から、私の定番のネタとなった淀川さんのモノマネが誕生したんです。
 
 オヤジさんの運転手をはじめて3年と10カ月目、いつものようにクルマを運転していると「明日から来なくていい」と突然言われました。

 何かまずいことをしてクビになったのかと思いましたが、実は芸能プロダクションに運転手ではなくタレントとして契約するよう話をつけてくれたんです。

 いきなりでしたから、もう涙が止まらなくなって……。でもそのあと、「給料も俺のデビュー当時と同じでいいと話しておいたから」と言われて、十年前と同じ給料だなんて安すぎると思って、また涙が出てきました(笑い)。
 
 その後は、「シャボン玉ホリデー」をはじめ、伊東四朗さんとのコンビで「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」などのバラエティー番組やドラマにもたくさん出させてもらいました。週6本のレギュラーですが、今の番組の作り方と違って1週間稽古してから本番という流れでしたから、とにかく忙しかった。
 
 5分間のコントのために伊東さんと二人で3時間かけてネタをつくり、さらにディレクターやプロデューサーにアドバイスをもらって改良して、本番直前までリハーサルしてということもよくありました。
 
 今のテレビのバラエティー番組は、コントもないし、歌も踊りもショーもありません。ちっとも“バラエティー”に富んでいませんよね。芸人もスタジオのひな壇に並んでコメントするだけとか。時代が変わったといえばそれまでですが。

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