1970年代に絶大な人気を博した番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」(テレビ朝日系)で「しらけ鳥音頭」を歌う小松政夫さん。この番組では、小松さん扮する「小松与太八左衛門」と伊東四朗さん扮する「ベンジャミン伊東」が踊る「電線音頭」も大流行。(写真/朝日新聞社)
1970年代に絶大な人気を博した番組「みごろ!たべごろ!笑いごろ!!」(テレビ朝日系)で「しらけ鳥音頭」を歌う小松政夫さん。この番組では、小松さん扮する「小松
与太八左衛門」と伊東四朗さん扮する「ベンジャミン伊東」が踊る「電線音頭」も大流行。(写真/朝日新聞社)
カメラマンに対して、にこやかな笑みを見せてくれた小松政夫さん。(写真/加藤夏子 2020年3月13日芦花公園にて撮影)
カメラマンに対して、にこやかな笑みを見せてくれた小松政夫さん。(写真/加藤夏子 2020年3月13日芦花公園にて撮影)

 淀川長治さんのものまねから、一世を風靡した「しらけ鳥音頭」に「電線音頭」。誰でも知っている数々のギャグを生み出したコメディアン・俳優の小松政夫さんが11日、肝細胞がんで7日に亡くなっていたことがわかった。78歳だった。

【写真】笑顔の小松さん。今年3月に撮影された。

 故人をしのび、週刊朝日別冊『ハレやか』(2020年6月号)に語ってくれた、コメディアンとなったきっかけから、師匠、植木等さんとの思い出や、いまの生活などについての生前のインタビューを掲載する。

*  *  *

「知らない! 知らない! 知らない! もー」「あんたはエライ!」「悪りーね、悪りーね、ワリーネ・デイートリヒ」。これ、みんな私のギャグです(笑い)。あるラジオ番組で調べてくれたんですけど、私が世に送り出した流行り言葉は60以上あるそうです。

 もう何十年も前なのに、たくさんの人が「覚えてますよ」「子どものころマネしてましたよ」と、今でも覚えていてくれるのはうれしいですね。
 
 コメディー俳優になりたくて博多から上京したのは19歳の時。兄が住んでいた横浜の独身寮に転がり込んで、いくつか劇団を受験しました。ところが入学金と月謝があまりに高額だったので断念しました。生活費も稼がなければいけなかったので、ケーキ屋とかお花屋、ハンコ屋、コピー機のセールスなどいろんな仕事をしました。
 
 お調子者で話がうまかったおかげで(笑い)、自動車のセールスでは、トップの売り上げ。大卒のサラリーマンの初任給が1万5千円くらいの時代に、私は10万円以上の給料をもらっていました。今でいえば100万円以上。
 
 コメディー俳優の夢は完全に捨てたわけではないのですが、セールスは儲かるし自分にも向いてるし「このままでもいいかな」なんて思うこともありました。
 
 そんな時です。いつものように、行きつけのビアホールで飲んでいると、他のお客さんが忘れていった週刊誌を見つけました。パラパラめくると、「植木等の付き人兼運転手募集! やる気があるんだったら面倒みるヨ~」って広告が載っていたんです。本を持つ手がプルプル震えましたね。「このチャンスを逃すわけにはいかない!」と応募しました。

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