すぐに父親にせがんで自宅近くにあった講道館の少年部(春日柔道クラブ)へ入門する。柔道にのめり込み、週6日を稽古に費やすようになった。頭角を現したのは進学校でありながら、女子柔道の強豪校でもある中高一貫校、渋谷教育学園渋谷中学・高等学校に入学してからだ。

 中1で出場した東京大会が2位に終わったことが、闘志に火をつけ、中2の全国大会で優勝して雪辱を果たす。中3になると、17歳以下の世界一を決める「世界カデ柔道選手権」で優勝。同年の講道館杯では、シニア選手を破って5位となり、男女を通じて初となる15歳で全日本シニア代表(原則21歳以上)に選出される。さらに高1でインターハイ優勝など、トップ選手への道を駆け上がった。

 柔道選手としての地位を固める一方で、朝比奈選手には「医師になる」という柔道を始める前からの夢があった。

「やはり医師の家系に育った影響があります。父の勧めもありましたし、母の歯科医院で見ていた母の医師としての姿にも憧れていました」
 
 また、柔道を続ける中で整形外科医の存在が常に身近だったことも大きいという。

「けがに苦しむ時期もあって、患者さんが納得できる治療の大切さを実感していました。いつか自分自身がインフォームド・コンセント(患者や家族に対する十分な説明と同意)を重視した医師になりたいと思うようになったのです」

■合否がわかった電車の中で、人目をはばからず号泣
 
 医学部受験は常に意識しており、小学生のころから稽古の後もできるだけ机に向かって勉強をする習慣もついていた。しかし、中高と上がるにつれて合宿や大会のため国内外の遠征が増え、知識の虫食い状態が生じていた。国際大会が一段落した高校3年の冬休みに猛勉強するが、1日10時間以上勉強する毎日は想像以上につらいものだった。

「一度、バーンアウト(燃え尽き症候群)したこともありました。やりたいことをすべて犠牲にしてまで医学部受験をする必要があるのかと」 
 

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父に相談するとまさかの一言が