武田:そこをひっくり返すというか、混ぜこぜにするには、どうしたらいいんですかね。

上出:いちおう試みてはいるんです。エンターテインメントって刺激の差じゃないですか。皮膚感覚と同じで、差が大きいほど刺激的だというのが大前提だと思うんですね。だから、「まったくの異世界に暮らしている人に会いにいきました」という入り口をまずは用意して、そののちに「やっぱり同じ人間なんだ」とわかってもらうために「飯」を用意したつもりではあるんです。

映像を見て、ぼくが現場で「ああ、一緒だな」と思った瞬間を感じてくれる人もたくさんいると思うんですよね。それでも、伝わってないなと思うことも少なくないです。それこそナレーションが必要なのかもしれない。「同じ地球に生きている人間だった」みたいな。

武田:本のまえがきで、「番組で放送したのは僕が見たものの千分の一。だからこの本では、その千まで書こうと思う」と書かれています。本を読み終えて、ああ、こちらを完成させたかったんだ、この本を残したかったんだ、という思いを強く感じました。じゃないと、45字×20行、500ページ超え、編集者を困らせる文量はなかなか書けないですよ。もともと、こういう、圧のある文章を書かれてきたんですか。

<企画書は1枚で、とか、伝え方が9割、とか、シンプルで明確であればあるほど、優良だと即断されるようになった。情報を受け取る人たちに余計な負荷をかけてはならないという営業マインドが、そこに存在していたはずの豊饒な選択肢を奪ってしまった。>(『わかりやすさの罪』より)

上出:まあ、憧れがありまして。

武田:やっぱり。そうなんですね。

上出:幼いころからの経験の中で、『十五少年漂流記』(ジュール・ヴェルヌ作)を読んだときのワクワクのほうが、テレビのおもしろさよりも何万倍も強かった覚えがあるんですよね。いまはテレビを作っていますが、いつか文章を書きたいという思いがあったので、こういう形で実現できたのはうれしかったです。

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武田さんが、上出さんの本はヘヴィーメタルだという理由