武田:世の中から悪だと規定されている人と話をしてみたら、なんだ、自分と同じ人間じゃんか、というストレートな気づきは、この本のそれぞれの章に通底している視点ですよね。だけど世の中は「ヤバい奴ら」を、どこまでもイレギュラーな存在と見なし続けます。悪い人は悪い人、イイ人はイイ人でいて欲しい。そういう方程式に当てはまらないと、どうもおさまりが悪い。その感じが、とっても嫌で。

ロシアのカルト教団の章で、信者のニコライさんが「私はカルトが間違っていると言うつもりもありません」と言いますね。「なぜなら、他人の正しさを私が判断するべきではないからです。あなたの正しさを私は判断すべきでないし、私の正しさをあなたが判断すべきでもない」と続ける。この感性は、自分たちに欠けている要素かもしれないですね。

上出:そうですよね。どうしてそうなってしまったんでしょうね。

武田:リベリアの少年兵と向き合う場面で、上出さんは、「人間は無意味なものや意味の不明な事柄を、不明なまま飲み込むことが苦手だ」と書かれていますけど、どうして、あいまいなものを飲み込めなくなるのでしょうかね。

上出:日本の特徴として、臭いものに蓋をするということがある気がするんですよね。見たくないものを見えないようにする。死がまさにそうで、年を取ったり病気になったりしたら施設や病院に入れて、死ぬ瞬間を誰も見ない。遺体からも目を背ける。サービスの先にそういうシステムが作られた。当たり前にそこにあるはずのものが見えないところに追いやられる、その延長にいまがあるのかもしれない……という気がします。

武田:上出さんは、「ハイパー」な場所をロケしても、「自分が今生きている日本の社会と地続きだ」と思いながら番組を作っているんじゃないかと想像します。でも、先ほども述べたように、視聴者は、とんでもなく遠い世界の話だという意識で見ているのかしれない。作り手の意図と見る側の反応が、どこまでも真逆になっている可能性がありますよね。

上出:ありますね。

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そこをひっくり返すには…?