「いまさら草刈ねえ……」

 そんな現場の声を聞いたこともありました。それでも「なぜ、諦めなかったのか?」と問われれば、

「自分には、芝居しかない」

 それだけがはっきりしていたことは、本書で繰り返してきた通りです。

 だから、どんなにうまくいかなくても、しがみつくしかなかった。すべてに負けていたとしても、諦めるかどうかの選択だけはまだ自分の掌に残されていました。なんだ、まだピッチャーマウンドに立ってるじゃないか! どうする? もちろん答えは決まっています。日が落ちても、ゲーム続行です。

いいことも悪いことも受け入れて手放す。すると、直感が降りてくる

 そのうち、こう思えるようになりました。芸能の世界ですから、浮き沈みの波は激しい。悪いこともあればいいこともある。人生はその繰り返しだと。毎日の生活がちっとも自分の思い通りにならなくてもがいた日々も、振り返れば、すべて演技の肥やしになっていたと。

 しかも、自分には利点がありました。それは、仕事場で、一流の役者さんたちの演技に接しているという点です。

 共演させてもらう名優の方々には、共通点があります。観察力と、再現力と、包容力です。人間の悲喜劇をつぶさに観察して再現でき、しかも相手を包容する能力の高さです。それも、自分という枠を超えて、思いきりよくやり切ることができる人の演技には目も耳も、いや、心までもが奪われます。芝居だとわかっていても芝居とは思えない。つくり話だとわかっていても本当のように思えてしまう。そんなキャッチボールにこそ、「人間を表現する」真骨頂があるのだと思いますが、その流れのなかに自分は居られたのです。流れ、というのはそこでしか感じられないものです。台詞があろうがなかろうが、流れ続けるものがある。役者一人ひとりが自分を捧げて生みだす流れです。そのなかに居られること。これを感謝と言わずして何とする。それなら、僕にできることを探さなけりゃしょうがない。

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悩みの時代は、ずいぶん長かった