これに対し、妻は同じく「週刊女性」の取材に、

「彼はほとんど帰ってきませんが、それをわかって結婚していますから、今さら寂しいとか、家にいてくれとはいいません」

 と、結婚を継続する意思を示していた。

 それでも、結局、この3年後に桜井は離婚。その翌月には不倫相手だった女性と再婚して、やがて3人の男の子にも恵まれた。最初の妻よりもはるかに長い夫婦生活を、二度目の妻と営んでいるわけだ。

 とはいえ、このスキャンダルによって好感度はガタ落ちした。たとえば、雑誌「JUNON」の人気ランキングで、彼は木村拓哉や福山雅治がトップを争う男性部門のベスト10に入るほどだったが、そういう存在ではなくなっていく。不倫への風当たりは、近年ほどではないにせよ、当時も厳しかったのだ。

 にもかかわらず、彼はなぜ、この危機を乗り越え、盛り返すことができたのか。ひとつの理由としては、とにかく大真面目にみそぎをしたということが挙げられる。こうしたときの対処法としては「マスコミを通して謝罪する」「一定の謹慎期間を置く」「作品で表現する」「田舎に引きこもる」「頭を丸める」といったものがあるが、彼はそのすべてを実践したのである。

 もっとも「田舎に引きこもる」べく、母方の地元でもある山形県に建てた新居は時価5億円の豪邸。「頭を丸める」にしても、「週刊女性」によると、最初の妻の母親からは「なんで坊主にしたのか……。その意味がわからない」と皮肉られたりしたという。それでも、反省めいたものを何も示さないよりはまだ効果的なのだろう。

 そういう意味では、再婚翌年の2001年に地雷撲滅を訴えるチャリティー音楽ユニットに参加したのも、みそぎの延長だったのかもしれない。また、02年には小脳梗塞を患って入院。これも何か罰を受けてしまったかのような印象も与えて、スキャンダルによる負のイメージを緩和したといえる。

 そしてもうひとつ、特筆すべき理由がある。ミスを繰り返さなかったことだ。これはTERU(GLAY)などにも当てはまるが、不倫でもその愛を貫き通せば世間はまずまず優しい。逆に、そうでない人には冷たいのである。

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面倒だとわかれば踏み込まない