巨人時代の大久保博元氏 (c)朝日新聞社
巨人時代の大久保博元氏 (c)朝日新聞社

「デーブ」の愛称でおなじみの大久保博元氏は、選手、コーチ、監督時代を通じてエピソードの多い人物である。

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 高校通算52本塁打の“水戸のドカベン”は1985年、ドラフト1位で西武に入団したが、正捕手・伊東勤を抜くことができず、7年間で1軍出場103試合に終わる。だが、92年5月、巨人へのトレードが飛躍のきっかけとなる。同年は自己最多の15本塁打を記録し、「大久保がホームランを打てば負けない」の“不敗伝説”も生まれた。

 そんな大久保がプレー中にブチギレる事件が起きたのは、移籍3年目の94年9月10日の広島戦(東京ドーム)だ。

 3対11と大きくリードされた6回1死、打席に立った大久保は2球目の直後、後ろを振り向くと、捕手の西山秀二と球審に怒りの表情でクレームをつけ始めた。ネクストサークルの福王昭仁と中畑清一塁コーチが慌てて駆けつけ、仲裁に入る。西山が故意死球をほのめかす言葉で挑発したのに対し、前年5月27日のヤクルト戦(神宮)で左手首に死球を受け、骨折で長期離脱した苦い経験を持つ大久保が過剰反応したようだ。

 プレー再開後、怒りが覚めやらぬ態の大久保は1-1から望月秀通の直球を思い切り空振りしたあと、フルカウントから外角低めに落ちる球を空振りして三振。まんまと広島バッテリーの術中にはまった悔しさが、さらなる怒りを呼んだのか、直後、大久保はバットを2度にわたって地面に叩きつけ、荒々しく放り投げると、ヘルメットもグラウンドに投げ捨て大暴れ。

 大人げない行動にスタンドは唖然としたが、「みんなスカート履いて野球やってるよ」と、闘志を前面に出さない選手たちに不満を抱いていた長嶋茂雄監督は、逆に大久保のファイトを買った。

 それから1週間後、同17日の阪神戦(東京ドーム)で、大久保は“涙のサヨナラ2ラン”を放ち、見事期待に応える。8月下旬から2勝12敗と低迷していたチームも、エンジンを再起動し、中日との“10.8決戦”を制して4年ぶりV。バットを叩きつけて悔しがったことがきっかけで、「瓢箪から駒」のようなめでたしめでたしの結末。不思議な強運としか言いようがない。

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久保田龍雄

久保田龍雄

久保田龍雄/1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。

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