昭和30年代初頭 化粧品を売るために編み出した、今では当たり前の手法とは? (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

AERA dot.

昭和30年代初頭 化粧品を売るために編み出した、今では当たり前の手法とは?

連載「人生は「手」で変わる」

このエントリーをはてなブックマークに追加
小林照子(こばやし・てるこ)/美容研究家。ヘア&メイクアップアーティスト。1935年、東京都生まれ。東京高等美容学院を卒業後、小林コーセー(現・コーセー)に美容部員として入社。数々の大ヒット商品を手掛け、85年、同社初の女性取締役に就任。その後独立・起業し、美容ビジネスの企業経営や後進を育てる学校運営をおこなっている。『人生は、「手」で変わる。』(朝日新聞出版)、『これはしない、あれはする』(サンマーク出版)、『小林照子流 ハッピーシニアメイク』(河出書房新社)ほか著書多数(撮影/写真部・片山菜緒子)

小林照子(こばやし・てるこ)/美容研究家。ヘア&メイクアップアーティスト。1935年、東京都生まれ。東京高等美容学院を卒業後、小林コーセー(現・コーセー)に美容部員として入社。数々の大ヒット商品を手掛け、85年、同社初の女性取締役に就任。その後独立・起業し、美容ビジネスの企業経営や後進を育てる学校運営をおこなっている。『人生は、「手」で変わる。』(朝日新聞出版)、『これはしない、あれはする』(サンマーク出版)、『小林照子流 ハッピーシニアメイク』(河出書房新社)ほか著書多数(撮影/写真部・片山菜緒子)

※写真はイメージです(Gettyimages)

※写真はイメージです(Gettyimages)

 人生はみずからの手で切りひらける。そして、つらいことは手放せる。美容部員からコーセー初の女性取締役に抜擢され、85歳の現在も現役経営者として活躍し続ける伝説のヘア&メイクアップアーティスト・小林照子さんの著書『人生は、「手」で変わる』からの本連載。今回は、「会社の仕事がつまらない」と不満を抱える人へ贈ります。

*  *  *
 美容学校を卒業し、私が化粧品会社に就職したのは23歳のときのことです。化粧品の販売を行う美容部員を教育する「教育部門」での採用でした。そのあと現場でも勉強をということで、私は23歳から25歳まで美容部員として山口県内の25軒の化粧品店に毎月出張し、化粧品を販売する仕事に従事しました。

 美容部員というのは、お客様に化粧品の説明をして、化粧品を買っていただくのが仕事です。私はもちろん、会社に言われたことはその通りにマスターしました。お店で化粧品を並べ、お客様に商品の特長を説明し、どんな順番で使っていくのかをお話しして、化粧品を普及させていくのです。先輩方は皆さんこのやり方で商品を売っていらっしゃるし、会社もそれでいいと言っている。だからその通りのことを続けていけば、及第点。それはごくごく当たり前のことです。

 でも私には早くメイクアップアーティストになりたいという目標がありました。目標に近づこうと思ったら、やはりチャンスはフルに使うこと。

「お客様に商品を売るだけではなくて、私自身もメイクの腕を磨いていきたい。お客様のお顔にメイクをさせていただくには、どうすればいいのだろう」

 私は考えに考えて、お客様にはサービスでお顔のマッサージをご提供することにしました。

 時は昭和30年代初頭です。その頃は、化粧はまだ大人の女性たちが普通にするものではありませんでした。メイクアップは、夜の女性たちがするもの。そんなイメージがあったので、「化粧なんて私は結構よ」と、店の前を素通りする女性たちも多かった時代です。

 そしていまのように、店頭で美容部員がお客様にメイクをして差し上げるのが当たり前の時代でもありません。商品を売るほうも買うほうも、まだ化粧というものに対して“おっかなびっくり”なところがありました。

 そこで私は、「奥様、まず私が手で、とても気持ちいいお顔のマッサージをさせていただきます。そしてお肌の血行がよくなったあと、ちょっとだけお化粧をしてみませんか? 私、東京の美容学校を卒業しているんです。一生懸命お手伝いさせていただきます」とお話しして、マッサージとメイクをサービスでつけたのです。


トップにもどる dot.オリジナル記事一覧

続きを読む

おすすめの記事おすすめの記事
関連記事関連記事

あわせて読みたい あわせて読みたい