彰さんは、やり手経営者だけあって、いろいろとうまい言葉が出てきます。文字に書くと胡散臭く見えるような言葉も、直接聞いていると説得力を感じてしまうカリスマ性があります。

 彰さんは、<現在の>気持ちを述べているだけで、嘘は言っていないと思います。ただ、直美さんが彰さんの発言にどの程度の信頼を置いていいかは別の問題です。薬物で逮捕された槇原さんも、田代さんも、その時々の気持ちに対して、嘘は言っていないと思います。しかし、残念ながら逮捕が繰り返されています。

 同じように、彰さんも積極的に嘘は言っていないと思いますが、時間がたち、状況が変わると、変化してしまう気持ちに基づいて話すように、私には思えました。彰さんは、「これは今までみたいに浮ついた気持ではなくて、確固たる気持ち」だとおっしゃっていましたが、意地悪くいえば「確固たる気持ち」という気持ちもまたうつろいやすいのです。

 なぜこういうことになってしまうのでしょうか。配偶者や社会からの非難は、<許してもらうため>の優等生的な反応を引き出してしまう、という点に大きな落とし穴があります。つまり非難する側は「これだけ言えばそれが伝わり、相手は真摯に反省して、もう繰り返さないだろう」という前提に立っているのに対し、非難される側は、非難されることが辛いので、自分の行動を振り返るのではなく、「どうしたら相手に許してもらうことができるか」がゴールになってしまうのです。それは突き詰めると、相手をなだめるためにどういうプレゼンをすればよいか、という目的意識だということです。彰さんにそういう視点もあると指摘したら、言下に否定されてしまいましたが……。

 さらに、自分で反省する(自分で自分を非難する)ことを評価する風潮もあります。直美さんもそれを求めていましたが、それは非難とその反応(どうやって許してもらうかという意識)を自分の中でイメージトレーニングして繰り返しているようなものなので、もっとその反応が定着します。

 つまり、本質的には何も変わらないのです。目に見える反省のもう一歩深いところには、その人の人生のポリシーとモチベーションが変わらずにあります。良い悪いは別にして、女性を自分の人生を彩るツールとしてしか見ていない男性は少なからずいるのが事実で、その男性たちも「君は僕が楽しく生きるためのツールだよ」とは言いません。

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「愛しているのは妻だけ」?