大塚篤司(おおつか・あつし)/1976年生まれ。千葉県出身。医師・医学博士。2003年信州大学医学部卒業。2012年チューリッヒ大学病院客員研究員を経て2017年より京都大学医学部特定准教授。皮膚科専門医
大塚篤司(おおつか・あつし)/1976年生まれ。千葉県出身。医師・医学博士。2003年信州大学医学部卒業。2012年チューリッヒ大学病院客員研究員を経て2017年より京都大学医学部特定准教授。皮膚科専門医
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※写真はイメージです(写真/Getty Images)
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『心にしみる皮膚の話』の著者で、京都大学医学部特定准教授の大塚篤司医師は、30代の半ばに2年間ほどスイスのチューリヒに留学していました。当時は、オプジーボを始めとした免疫チェックポイント阻害剤の治験が世界中で一斉に始まった頃です。その留学先を決めた理由には、あるエピソードがあったと言います。

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 スイスといえばアルプスの少女ハイジ。山が多く、永世中立国。学生時代はそれくらいの知識しかありませんでした。医者になってから、ノバルティスやロシュなど規模の大きな製薬会社がスイスにあることを知りました。

 思えば、高級時計やチョコレート、金融関係もスイスの産業として有名でした。

 そう考えると、スイスが新薬の開発では先進国だという事実は、あまり驚くことではないかもしれません。

 私は30代の半ばに2年間ほどスイスのチューリヒに住んでいました。大学院を卒業して、自分一人で研究がある程度できるようになってからの留学です。

 医者も留学をします。医者の留学には2パターンあって、医者として診療や手術を学びに海外へ行く場合と、医学博士として研究をしに留学をする場合です。医者として留学するには、渡航先の国の医師免許を持っていないと診療はできません。東南アジアの一部の国では、日本の医師免許がそのまま使えますが、先進国の多くは追加の試験に合格する必要があります。

 医学博士として留学するときは、試験は必要ありません。博士号と、名刺代わりになるようなインパクトのある研究論文があれば留学可能です。ただ、留学中の生活費をどうするかという大きな問題があります。10年以上前は、日本で在籍する病院が生活費を援助してくれることもありました。しかし、制度が変わりそれも難しくなりました。最近は、国の支給する奨学金を厳しい選抜に勝ち抜いて獲得するか、留学先の研究室から給料を出してもらうかのどちらかです。海外留学は医師にとって高いハードルになっています。

 私は幸運にも奨学金が取れたため、留学先との交渉はスムーズに進みました。当初希望していた第1候補の留学先は、アレルギーの分野で有名なボスがいる研究所。研究施設も整い、最先端のことを行うには十分な環境でした。

 次に訪れたチューリヒの研究室は、主に悪性黒色腫(別名メラノーマ、ほくろのがんとも呼ばれる)を研究していました。当時は、オプジーボを始めとした免疫チェックポイント阻害剤の治験が世界中で一斉に始まった頃で、チューリッヒの病院には多くの治験患者さんが集まっていました。

 そこのボスは悪性黒色腫で世界的に有名な皮膚科医でした。彼は世界中を飛び回って講演をし、数多くの臨床試験をマネジメントし、そして研究室を運営するスーパーマンでした。その世界では超一流の人間でありながら、とても心の優しい医者でした。

 実は、留学先としては第2希望だったのですが、彼の研究室とその人柄は想像以上に魅力的なものでした。

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