●両国にある次郎吉のお墓

 実は、鼠小僧次郎吉のお墓で一番有名なのは、両国にある回向院のものである。

 回向院は、江戸初期に起こった「明暦の大火」で亡くなった10万人を超える人たちの菩提を弔うために幕府の命によって建立されたお寺である。この火事で身元のわからない無縁仏が大量にいたため、この地に埋葬し、その上に建てられたお堂が現在に続いている。このような建立理由から、以後の事故や災害で亡くなられた方々、刑死者の他、水子供養の始まりも回向院だと言われている。また、建立当時の将軍・徳川家綱の愛馬を供養したことから、馬頭観世音菩薩に代表される動物供養も広く行われていて、塚・犬猫供養塔・軍用犬・軍馬慰霊碑なども境内に建てられている。

●今では金運のお守りに

 両国回向院の次郎吉の墓は、いつしか“ばくちに強くなる”という伝説が生まれ、墓石を削ってお守りとして持ち帰られるようになった。その数が凄まじく、このままでは石が失くなってしまうため、お墓の前にはお前立(写真では白っぽい石)が建てられて、削ってよいのはこちらの石だけとなっている。実は、この墓標、明治時代に大当たりした狂言のお礼に、市川団升が供養墓として建立したものだという。以後、削った石がお守りになると広まり、当初は博打打ちたちが、やがて「どこでもするりと入る」次郎吉にあやかり合格・就職祈願、今では金運授与の名所として知られるようになっていった。

 ちなみに、お前立ちはもう何代目となるかわからないくらいの数を重ねている。以前は、ねずみの絵が描かれたお守りだけだったのだが、人気はますます高まり、今では何種類ものお守りが用意されるようになった。写真は子年の今年限定のお守り袋(中に削った石を入れる)である。

 団升が間違ったのか、両国回向院の墓碑には、「天保2年8月18日 俗名中村次良吉之墓 教學速善居士」とある。後世でこんなに注目を集めると知っていたら、もう少し命日の日付に注意をしたことだろう。それとも役者特有のシャレだったのか。

 実は、全国には鼠小僧のお墓はもっとある。愛知県蒲郡市にある委空寺、兵庫県三木市の慈眼寺などである。生きざまはともあれ、義賊の代名詞ともされる鼠小僧のご利益はまったく後付けではあるが、現代人も恩恵を受けるほどのパワーは健在である。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)

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鈴子

鈴子

昭和生まれのライター&編集者。神社仏閣とパワースポットに関するブログ「東京のパワースポットを歩く」(https://tokyopowerspot.com/blog/)が好評。著書に「怨霊退散! TOKYO最強パワースポットを歩く!東東京編/西東京編」(ファミマ・ドット・コム)、「開運ご利益東京・下町散歩 」(Gakken Mook)、「山手線と総武線で「金運」さんぽ!! 」「大江戸線で『縁結び』さんぽ!!」(いずれも新翠舎電子書籍)など。得意ジャンルはほかに欧米を中心とした海外テレビドラマ。ハワイ好き

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