昭和の名優がまたひとり逝った。梅宮辰夫さん (C)朝日新聞社
昭和の名優がまたひとり逝った。梅宮辰夫さん (C)朝日新聞社

 12月12日、俳優の梅宮辰夫さん(享年81)が亡くなった。俳優として映画やドラマだけでなく、バラエティ番組にも積極的に出演し、老若男女問わず人気を博していた。この度の訃報に際して、千葉真一(80)など俳優仲間や関係者たちがコメントを寄せ、SNS上などでも数々の「梅宮辰夫伝説」が話題に上がった。

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「梅宮さんと言えば、バラエティに出演している今でこそ『娘思いのちょっと頑固な親父さん』というキャラでしたが、かつては東映のニューフェイスとして、任侠映画や不良映画の大スターだった。私生活でも豪快だったことは有名で、“夜の帝王”“不良番長”といった出演作にちなんだあだ名がついてまわった。『仁義なき戦い』のロケをしている広島に取材に行ったとき、やたらとリアルなエキストラがいるなとおもったら、現地の“本職”の方々が見物に来ていたんですが、梅宮さんは京都の太秦撮影所でしごかれた時代を送っていたこともあり、全く動じていないのが印象的でした。いざ撮影がスタートすると、梅宮さんは、そんな本物のヤクザよりも強面の表情になり、その後のインタビューもまるで本物みたいでおっかなびっくり取材したことを思い出します」(当時を知るスポーツ紙の元記者)

“辰兄”などの愛称で後輩たちからも慕われてきた梅宮さんが、一家で話題になったのが娘・アンナと羽賀研二の交際騒動だろう。プレイボーイだった羽賀に対して「稀代の悪」といい放つ姿が強烈な印象を残した。そしてそこで思い出されるのが、「仁義なき戦い」などで共演した山城新伍さん(2009年没)とのエピソードだ。

「梅宮さんとは兄弟と呼び合う仲だった山城さんは当時、バラエティ番組で羽賀研二と共演した際、収録中ずっと睨みつけていたんです。ところがそれが実は羽賀と似ているマイケル富岡で、直後に彼に平謝りしたという有名な話がありました」(前出の元記者)

 当時のマイケル富岡はさぞや生きた心地がしなかったことだろうが、今となっては微笑ましいエピソードだ。「仁義なき戦い」で共演した菅原文太さん(2014年没)、松方弘樹さん(2017年没)や山城さんなどのスターたちはとくに親交が深く、さまざまなエピソードが語られている。

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朝まで飲んで撮影に