「深作欣二監督も含め、深夜まで撮影してそのまま朝までみんな飲むことが日常茶飯事だったそうです。だから『仁義なき戦い』シリーズの役者の顔はみんなだいたい浮腫んでいると。『不良番長』シリーズも、主演の梅宮さんや山城さんは台本もほとんど読まず、朝まで飲んで寝ているところスタッフから叩き起こされて嫌々、撮影を始めていたというエピソードもありました。これらの映画が撮られた1970年代は、みんなまだ30~40代でやんちゃし放題でしたし、そこで撮影現場が“遊び場”だったのでしょう。羨ましい時代です」

■梅宮さんが松方さんに送った弁当箱

 松方さんのブログではかつて、「映画のプロデュースその1」というエントリで、「プロデューサーは千葉真一さん、監督は山城新伍さん、その二人に辰ニィ、北大路欣也、渡瀬恒彦、そして私の6人で、トムソーヤ企画というのを立ち上げて映画を1本作ったわけです」と、親交の深かった面々と映画「せんせい」を作ったときのエピソードが綴られており、往時偲ぶことができる。

 梅宮が東映スターだった時代から取材を続けてきた芸能レポーターの城下尊之氏は、亡くなる直前の松方さんとの交流を話す。

「病室で寝ていた松方さんに、料理上手な梅宮さんはお弁当を作っていったそうです。当時松方さんはろくに食事もできなかい状態でしたが『この弁当箱は、俺が40年間ずっと使っているものなんだ。だからこの弁当箱みたいにお前もがんばれよ』というふうに伝えたそうです。『松方弘樹・世界を釣る』など2人でよく釣り番組に出演していましたが、民宿もないような過酷な場所でのロケが多く、辛い収録だったそうですが、松方さんの唯一の楽しみが梅宮さんの手料理だったそうです。本格的な調味料や道具を取り揃えてロケに望むので、天然の魚を使った豪快な魚料理にありつけることも多かったとか。2人の長い友情が感じられます」

 梅宮さんとの思い出は数多い城下氏は、梅宮辰夫という存在についてこう語る。

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カップラーメンを食べながら……