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「辞めた方が絶対に楽…」村中恭兵が、野球を続ける“辛い道”を選択した理由

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菊田康彦dot.
前ヤクルトの村中恭兵 (C)朝日新聞社

前ヤクルトの村中恭兵 (C)朝日新聞社

「とりあえず行き先が決まったんで、ちょっとホッとした気持ちはあります。最初はどこからも(オファーが)なくて、不安な気持ちっていうのがあったんで」

 そう話す村中恭兵(32歳)の声は、どこか弾んでいた。2005年の高校生ドラフト1巡目で指名されて以来、14年間在籍したヤクルトから、10月1日に戦力外通告を受けた。球団からは引退するならセレモニーを用意するとも伝えられたが、「ありがたい話ではあったんですけど、もう1年でも挑戦したい部分があって」と、現役を続ける決意を固めた。

 11月12日には12球団合同トライアウト(大阪シティ信用金庫スタジアム)を受験。NPB球団からのオファーはなかったが、一縷の望みとなっていたのがオーストラリアン・ベースボールリーグ(ABL)のオークランド・トゥアタラからの誘いである。11月26日に入団が決まり、村中は来月からこのチームの一員としてプレーをすることになった。

「ここ数年、ずっと体の状態が良くなかった中で、やっと自由に動くようになって、その万全な状態で投げたことがまだ1回もなかったので。今は本当にめちゃくちゃ体の状態が良くて、(腰を)ケガする前ぐらいには戻ってますね」

 思えばここ数年は、ケガに泣かされどおしだった。伸びのあるストレートとキレのいいスライダー、フォークを武器に2010、2012年と2度の2ケタ勝利をマークし、次代のエースと期待されながら、2014年に重度の腰痛で長期離脱を強いられてからは、故障との戦いが続いた。

「腰を痛めてからちょっとフォームを崩して、そこから前の投げ方では投げられないというか、踏ん張れなくなりました。その後は自分の投球ができなくて……」

 万全ではない腰をかばいながら投げることで崩れたフォームは、なかなか元には戻らず、それが深刻な制球難につながっていく。2015年は一軍登板ゼロ。14年ぶりのセ・リーグ優勝を果たしたナインの輪に加わることもなく、当時はまだ27歳ながら戦力外も覚悟したという。


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