筋肉もつきにくいし、率直にいって非効率的な運動なのです。小学生の頃は、マラソン大会で上位にいるのは全員サッカー部やバスケ部に入っている子たちでした。それは、スポーツをすることで、マラソンで鍛えられる部位も同時に鍛えられているという証拠にもなります。

■大人になってはじめて魅力的な運動になる「マラソン」

 それに大人になると、サッカーやバスケットをしようとしても、人数を集めなければチームがつくれないという問題がでてきます。すでにおのおのが働いていたり家庭をもっていたりするため、都合を合わせて時間を調整するのが難しく、どうしてもやれる機会は少なくなります。

 つまり、マラソン(ランニング)は、ジムのように器具がそろっていなくても、好きなときに手軽に始められるので、大人になってはじめて魅力的な運動になるのだと思います。

 さらに重要なポイントは、小さいころは生まれ月などによって体格や知能の成長の度合いがかなり違うため、「順位づけ」はあまりよろしくなく、避けるべきだと言われている点です。

 発育が遅い子どもたちは、自分の力ではどうしようもないところで、強制的に「運動神経が悪い」というレッテルをはられ、劣等感を植えつけられるわけです。単なる幼少期の体格差のせいで、実際は運動神経が悪いわけではないのに、「自分は鈍いのだ」と思い込んでしまうと、自らその通りになるよう行動するようになるという「自己充足的予言」という考え方にハマってしまいます。どうせ運動ができないからと、どんどん体を動かすことに消極的になっていくのです。

 また、「条件が整っている成功者はますます成功する」というマタイ効果も生じ、運動神経がよいとされる子どもたちはリレーの選手に選ばれ、ほかの子たちより走る練習をする機会が多くなっていき、差は広がるばかりです。

 デンマークでは、こうした生まれ月による悲劇で子どもたちの才能をつぶすことがないよう、差がなくなる10歳までは能力別のグループ分けを禁止するように政策で決めているほどです。

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