そこに根付く文化やアミニズム的な世界観、信仰、人との接し方、それを包む巨大な母性と力強さを持つ自然に、僕は本当に惚れたんです。もともと神社仏閣が大好きですし、公演で世界各地を訪れましたが、沖縄はそういったことが残っている最後の場所だと思う。観光のためとか癒やされたいという思いは一切なく、神々の里である南城市玉城(たまぐすく)に移り住みました。当時、米ニューヨークやヨーロッパ各地に行くにつれ、誰がどう儲けるかという資本主義的な考え方に疑問を持つようになりました。閉ざされた劇場で、まるでわかったかのように人間を描いているのも嘘なんじゃないかとずっと引け目を感じていたんです。沖縄に来てみると、この自然の中に僕らは生かされているんだと初めて明確に感じ、ここで学べるものがあると思いました。

 首里城には城(グスク)の跡だけでなく、神が造られた聖地として古代から拝まれてきた首里森御嶽(すいむいうたき)など、礼拝所が10カ所以上あります。僕も何度か拝みに行ったこともありますが、天と地、過去と未来がつながる場所であり、だからこそ首里城は僕にとっての軸でした。

 沖縄の人たちが首里城をこれほど大事に思っている背景には、本土の人の想像を超える歴史があります。前回の、4度目の焼失は戦争でした。東京空襲や原爆投下など本土も激しい攻撃を受けましたが、外に逃げられない狭い島で、国内唯一の地上戦があり、1人1人の顔が見えるほど密度の濃い場所で受けた痛みは想像を絶するものだった。首里が激戦地になったのは、日本軍の司令部が置かれたことだけではなく、最後の最後までここだけは守りたいという沖縄の人たちの思いが表出したものだったと僕は思う。

 東日本大震災が起きた後、精神的にすごく辛くなっていた僕に、あるオバアが「大丈夫さあ、私たちも何もない焼け野原に種を植えたから。種を植えたら芽は育つんだよ」と言ってくれました。それがとても嬉しかったし、ああ、この人たちは本当にそうやって生きてきたんだと感じました。そうした生半可じゃない歴史がすぐ目の前にあるわけです。

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「拳を上げて反対すると溝が広がるだけ」