宮本亞門さん(撮影/横関一浩)
宮本亞門さん(撮影/横関一浩)

 火災で正殿などが焼失した首里城(那覇市)の再建にむけて、支援の輪が広がっている。クラウドファンディングは既に4億7千万円を突破。

【1991年当時の首里城復元事業の空撮はこちら】

 1996年から20年以上、沖縄を拠点にした演出家の宮本亞門さん(61)は、今回の火災について「大きな時代の転換点ではないか」と語る。多くの人たちが首里城を大切に思う理由は何なのか。

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 火災当日の朝のニュースで、炎に包まれる首里城を見て言葉を失いました。「ええ、嘘でしょう……」と。僕の知っている沖縄の方たちも、直後は話題にできないぐらい意気消沈していて。すぐに駆けつけて、「ああ、本当に辛いよね」と互いに肩をさすって抱きしめあいたい気持ちでした。これほどみんなが支えに思っていたんだと、失ってから一段と感じさせられています。

 僕は9・11のときにニューヨークにいて、黒煙を上げるワールドトレードセンタービルを目の当たりにした経験があります。建物が目の前で崩壊していくなんて、普段は到底想像できないし、あってはならないことで、本当に驚愕でした。ノートルダム大聖堂もそうだったように、首里城の焼失が単なる建物の崩壊と違うのは、人々の精神や心が入った“よりどころ”だったからです。

■沖縄で「生かされている」と初めて感じた

 僕は1996年から20年以上、沖縄本島南部に住んでいましたが、初めて沖縄を訪れたのは移住の3、4年前。テレビコマーシャルの撮影でした。そのときに復元された首里城正殿も見に行き、本土にはない鮮やかな色彩と中国の紫禁城(明清朝の旧王宮)のような雰囲気もあり、中国や台湾、日本の文化が影響したことがはっきりわかりました。「万国津梁の鐘」が示すように、違う考えや違う習慣を持った人をつなぐ場所。ああ、ここは琉球王国なんだというのが僕の第一印象です。だから、言葉も音楽も違うのだと。

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「僕は本当に惚れた」