■中日:岩瀬仁紀

 中日の絶対的守護神は、プロ19年間で前人未到の1000試合登板(最終的に1002試合)に到達した岩瀬仁紀に尽きるだろう。通算セーブ数407も歴代最高記録で、シーズン30セーブ以上が9回と、他の追随を許さない歴史的守護神だ。

 岩瀬の凄さは、その継続性にある。プロ1年目から中継ぎとしてリーグ最多の65試合に登板し、そこから15年連続で50試合以上登板を記録した。最優秀中継ぎ投手を三度獲得し、本格的にクローザーとなったのはプロ6年目の04年。翌年から2年連続で40セーブ以上をマークして、いずれも最多セーブのタイトルを獲得した。

 99年から11年まで五度のリーグ優勝を果たした中日には、常に岩瀬の存在があった。落合博満監督のもと、球団初となるリーグ連覇を果たした10、11年には、浅尾拓也と最強のプルペンを結成した。

 岩瀬の真骨頂は短期決戦の強さで、六度出場した日本シリーズでは1点も取られていない。伝説となったのが07年の第5戦で、8回までパーフェクトの山井大介の後を受けて9回に登板し、三者凡退で史上初となる継投での完全試合を達成し、球団史上初となる日本一を決めた。

ヤクルト:高津臣吾

 平成に入ってすぐ、1990年代に野村克也監督のもと、黄金時代を築いたヤクルトで守護神を務めたのが高津臣吾だ。通算286セーブは、あの大魔神・佐々木を上回るNPB歴代2位の記録で、2年間プレーしたMLBで27セーブ、韓国プロ野球で8セーブ、台湾でも26セーブ、さらにキャリアの最後には独立リーグの新潟で16セーブをマークしている絶対的守護神だ。

 プロ入り当初は先発として期待され、2年目には3完投で5勝をマークした。しかし、野村監督の進言で、のちに“魔球”と言われるシンカーを習得し、93年から抑えに転向。当時の球団記録となる20セーブをマークしてチームはリーグ優勝、日本シリーズでも3セーブを挙げて日本一に貢献した。

 その後は94年にリーグ最多の19セーブで、当時は優秀救援投手に贈られていたファイアマン賞を受賞。99、01、03年もリーグ最多セーブで、最優秀救援投手のタイトルを四度、獲得している。

 96年のオールスター戦では、投手として起用されたイチロー相手に、打者松井秀喜の代打で起用されるなど、90年代の良き時代のプロ野球を象徴する選手でもあった。