■阪神:藤川球児

 数少なくなった松坂世代の生き残りとして、今季は抑えとしても復活を果たした藤川球児。21世紀の幕開けとともに阪神のブルペンを支える存在となり、今季終了時まで通算241セーブを記録しているトラの絶対的守護神だ。

 プロ入り後はなかなか先発として芽が出ず、戦力外の危機もあった右腕が、岡田彰布監督に救われ、リリーバーとして球界を代表する存在になった。

 大躍進を遂げたのがプロ6年目の05年。セットアッパーとしてジェフ・ウィリアムス、久保田智之とともに「JFK」と呼ばれた勝利の方程式を結成。当時のシーズン最多記録となる80試合に登板し、53ホールドポイントで初タイトルとなる最優秀中継ぎ投手に輝き、リーグ優勝したチームの原動力となった。

「火の玉ストレート」と称された、打者の手元でホップする感覚の速球を武器に、07年からはクローザーとして君臨し、40セーブを超えた07年、11年に最多セーブのタイトルを獲得した。

 13年から3年間、MLBでプレーした後、日本復帰後も昨年まで3年連続で50試合以上登板を続けており、歴代3位の佐々木主浩の通算セーブ数(252)まで、あと11に迫っている。

■広島:永川勝浩

 先発、リリーフ兼任で、いずれも通算100勝100セーブを記録した佐々岡真司と大野豊や、球団史上初の3年連続胴上げ投手となった中崎翔太など、数字を残した抑え投手が少なくないが、球団最多セーブの記録を持つのは永川勝浩(通算165セーブ)だ。

 02年に球団史上初の自由枠選手として入団した永川は、当時は球団唯一の200勝投手だった北別府学の背番号「20」を受け継ぎ、1年目からクローザーを任されて25セーブを記録。06年にキャリアハイとなる65試合に登板して27セーブを挙げると、翌年から3年連続で30セーブ以上をマークした。

 ノーラン・ライアンを参考にしたという左足を高く上げる投球フォームから、150キロを超えるストレートと大小2種類のフォークを投げ分け、高い奪三振率で9回のマウンドを守った。

 制球難で四球を連発し、フォークがワンバウンドになって暴投となるなど、いわゆる「劇場型」の傾向もあったが、好調時には大魔神・佐々木を彷彿とさせるクローザーらしいクローザーだった。キャリア後半はケガに苦しんだが、スライダーを交えた投球で、ブルペンではリーダー格として存在感を発揮した。

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中日は鉄腕の守護神しかいない