そのため、いろいろなものを国内で調達するよりほかなかった。戦前、中国から輸入していた鉄鉱石や銅は、敗戦後の時期は、国内鉱山で賄っています。日本の炭鉱業も敗戦から1950年代がピークでした。

 木材価格が非常に高かった時期でもあり、林業も1950年代には盛んでした。木材輸入ができなかったうえ、戦災復興や高度成長のために木材需要が高まったからです。この時代は、「丸太1本切り出せば1カ月遊んで暮らせる」という話さえあったといいます。いま地域をめぐると杉林だらけなのは、こういう敗戦直後から1950年代までに、山の雑木林を切って植えたことが一因です。こういう時代に、鉱山町や農山村の人口が多かったのは、ある意味で当然です。

 ほかにも、かつては人口が多くて、いまは過疎地になっている地域には、昔の交通要衝地があります。たとえば江戸時代の街道には、一日歩いて着ける場所ごとに、宿場町がありました。また鉄道や自動車が発達する前は、海運が中心だったので、海運拠点として栄えた地域もありました。しかしそういう地域は、現在では人口が減っています。

 人口配置の歴史を見ると、農山村は50年代半ばに人口ピークを迎えた所が多いことがわかります。高度成長期に人口が急激に都市部に移動しますが、1973年の石油ショックで都市部が不況になり、人口移動の流れが止まります。地方に公共事業で仕事が増えたこともあり、1979年には「地方の時代」という言葉がはやりました。地方都市は、80年前後が人口がピークのところが多いようです。NHK連続テレビ小説「あまちゃん」の設定は80年代前半です。あれは、その時期が人口ピークだった地域の物語なのかもしれません。

 それからバブル期にはまた都市部への移動が多くなり、バブルが終わるとまた人口移動が止まります。しかし90年代後半になると、景気の良しあしにかかわらず、都市部への人口移動が定常化します。それは先に述べたように、自営業が急激に減って、非正規雇用が増えてきた時期と重なります。地域社会のあり方、地域に定住するという意味そのものが、変質してきた時期ともいえるかもしれません。

 さらに2000年代になると、地域によっては人口減が顕著になり、「ゆるキャラ」とか「B級グルメ」といった過疎化対策がブームになっていきます。公共事業に対する視線が厳しくなり、実際に予算も削られていた時期で、昔とは違う地域振興が模索されていた時期でもありました。

 こうみてくると、かつては地域には理由があって人が住んでいたのであって、いまはその理由がなくなったから人が減っている、という側面があるのがわかります。だからといって、戦争と食糧難と貿易制限の時代に戻るというわけにもいきません。地域振興ということを考える場合には、「かつてその地域にはなぜ人が多かったのか」を考え、さらに「その地域が現代においてどんな新しい役割やポジションを担えるのか」を考え直すといった視点が必要かもしれません。

 なお、地方移住がブームといわれます。その総数はわからない部分も多いのですが、2009年から2014年にかけて地方移住者が4倍に増えたという調査があります(毎日新聞・NHK・明治大学地域ガバナナンス論研究室)。注目すべき流れですが、この調査によれば2014年度で総数1万1735人ですから、1億人レベルの人口問題を解決するというような数ではありません。

 国道交通省や内閣府の調査でも、移住したいという願望を持つ人はそれなりに多いけれども、すぐ実行したいという人は少ないようです。移住者への関心が高まることによって、地域社会への注目が増えたり、新しい交流が生まれたりするのはいいことです。しかし、移住で国家レベルの人口問題を解決するというのは、いささか筋違いの期待かもしれません。

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「格差問題」の本質を見えなくさせたもの