■日本の高齢者は昔から働いていた

 さきほど言ったように、夫が中堅以上の大企業に40年勤め、年収514万円をキープし続けた場合、夫婦2人で月22万円です。この人たちが95歳まで生きるためには2000万円が必要だというのであれば、「大企業型」の26%以外の人たちはどうなるのか。もちろん7割以上の人たちはもっと働かなきゃいけない。

 とはいえ、これは今に始まったことではなく、日本の高齢者は昔から働いていた。国民年金だけで生きていけないのは、昔も今も変わりません。ただし、昔は自営業で働く人が多かった。農業や自営商店に定年はないので、日本の高齢者労働力率は昔から高く、働く高齢者は決してめずらしい存在ではなかった。

 ところが現在、自営業が減ってきている。ということは、おそらく非正規雇用の高齢者が増えていると想定されます。農地があって持ち家があれば、国民年金でもやっていけます。しかし、借家で非正規雇用の高齢者は、国民年金では貧困に陥りやすくなります。

 1970年代後半に一億層中流と言われた時代でも、国民の多数派が大企業正社員だったわけではありません。1億総中流でなくなった、というのは3割程度の大企業正社員の雇用が揺らいだからではなく、残りの7割を支えていた「地元型」の安定性が減ってきたためだと考えられます。

■人口減には必然的な理由がある

 ここから先は、『地域をまわって考えたこと』(東京書籍)に書いたことに沿って話します。

 いろいろな地域を回って考えたのは、「必然性があるから人がいた」ということです。貧しいのを我慢して、ただ愛郷心だけでその地域にとどまっていたのではない。どこの地域でも、ヒトとモノとカネの流れがあり、そこに人が住む必然性がある地域には人が集まり、必然性のない地域は人が減る。これは洋の東西を問いません。

 ではなぜ、かつての日本では、地方の人口が多かったのか。じつは自治体の出しているデータをみると、1945年から人口が急増して、55年までが人口のピークという農山村が多い。これは戦争で都市部の産業が壊滅し、食料がなくなって、農山村に人口が移動したからです。1950年代初めまでは、都市部より農山村の方が食料に困らず豊かだった。

 そして55年ぐらいから都市部の復興が起き、食糧難が解決されたことで、農山村では一気に人口が減っていく。ただしその減り方は、敗戦後に増えたぶんがもとに戻ったという程度です。つまりかつての農山村に人口が多かったのは、戦争とそれに伴う疎開があったからというのが一つの理由です。

 もう一つ、戦争中は外交関係が途絶しているから貿易ができませんでした。敗戦後の占領下で貿易は占領軍の管轄下で自由ではありませんでした。1951年にサンフランシスコ講和条約を結び、国際社会に復帰して、1955年にはGATT(関税及び貿易に関する一般協定)に日本も加わることができるようになったのですが、60年代前半までは貿易制限が多かった。

次のページ
人口配置の歴史を見ると…