日本の至宝「京アニ」 狙われた精鋭集まる「第1スタジオ」 (2/3) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)

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日本の至宝「京アニ」 狙われた精鋭集まる「第1スタジオ」

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煙を上げて燃える京都アニメーションの建物=2019年7月18日午前11時39分 (c)朝日新聞社

煙を上げて燃える京都アニメーションの建物=2019年7月18日午前11時39分 (c)朝日新聞社

「京アニ&Doショップ!」(京都府宇治市)が入店する京アニ第5スタジオ(撮影/河嶌太郎)

「京アニ&Doショップ!」(京都府宇治市)が入店する京アニ第5スタジオ(撮影/河嶌太郎)

 こうした事情のため、京アニはいち早くアニメ制作のデジタル化を進めていた。やがて、アニメ業界全体でデジタル化が進み、高速インターネット環境の整備も進んでくると、京都に居ながらにして元請けが可能になった経緯がある。こうした動きは現在では京アニに限らず、富山県の「P.A.WORKS」や徳島県の「ufotable」など、アニメ制作元請け会社の地方進出を可能にし、雇用創出にもつながっている。

■地方を拠点にした人材育成

 初の元請け作品は2003年の「フルメタル・パニック? ふもっふ」だが、一躍京アニブランドの名を知らしめたのが05年のゲーム原作のアニメ「AIR」であった。これまでのアニメの常識では考えられない描写の細かさと、卓越した色彩の表現力で、「ゲームのイラストが未来の技術でそのまま動いている」と言われるまでの衝撃を視聴者に与えた。実はその裏には、他社に先駆けてデジタル化を進めていた背景があったからだった。

 当時最新の技術を持っていたことに加え、地方に拠点を置くからこその、高い人材育成力も大きな要因だった。東京には多数の制作会社があるため、高い技術を持ったフリーランスの人材も多く居住している。各制作会社は自社の人材育成はそこそこにしながら、必要な時にはこうしたフリーの人材を活用することもできた。だが、地方だとそうもいかない。そのため京アニは高い技術の継承を自社で行ってきた経緯があった。

 こうした最先鋭の「クリエイター集団」たる京アニは、その後数々の社会的ヒット作を世に送り出していく。06年の「涼宮ハルヒの憂鬱」、07年の「らき☆すた」、09年の「けいおん!」と世界的大ヒット作品を連発し、「京アニ時代」を築き上げた。特に「けいおん!」はアニメ主題歌が史上初めてオリコン1位と2位を独占し、アニソンに対する世の中の認識を変えた作品でもある。

 その後は他社の技術力の高まりもあり、立ち位置は相対的に落ち着く。とはいえ、12年の「氷菓」「中二病でも恋がしたい!」、13年の「たまこまーけっと」「Free!」「境界の彼方」、15年の「響け! ユーフォニアム」、16年の「聲の形」など、依然高いクォリティの作品を輩出し続けている。


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