荷物をほどき、部屋に合わせた収納を整え、少しずつ計画通りのゆとりが室内に見え始めたのが、夏頃だろうか。そもそも私は整理整頓が大の苦手だ。捨てられない体質から一転、捨てまくる体質に変わったとはいえ、整理整頓は、まるで別次元の能力。部屋の動線とゆとりを確保しつつ、収納空間を無駄なくぴっちり作るノウハウは会得できたものの、いまだに原稿一枚書くのに何分かかるのかすら予測できない私には、そこに使いやすくモノを収めていく技が、どう頑張っても備わらなかった。遅い仕事の合間にウダウダぐちゃぐちゃとやっていれば、あっという間に夏になるというわけだ。

 段ボールがなくなって、これ以上はもう床の見える面積は増えないという状況になって、「やっぱり狭苦しい」となった。都会に暮らす大金持ち以外の大部分の人たちから、バカ言ってんじゃねえ! とどやされることを承知で言おう。当時の部屋は六畳三つ。2DKの48平米。一人で住むには決して狭い環境ではない。

 とはいえ都心の古くて小さな賃貸用鉄筋集合住宅というものは、六畳といっても微妙に小さく、収納スペースの奥行きも浅く、天井も低く、ほとんどの柱が室内に出っ張っているのである。すべてにおいてみみっちくできている。捨てたとはいえ、今後の仕事に必要な本や資料を捨て去ることはできず、どんなにがんばったとて本棚は軽く九架。こんな量では蔵書家のうちにも入らないけれど、ミニマムな住空間を圧迫するには十分な物量だ。なんとか念願のベッドを導入することはできたが、ソファも食器棚も置く余裕なし。

 これが新築や築浅物件ならばまた話は別なのかもしれないが、文京区内で同じ広さで新築なんぞ選ぼうものなら、家賃がさらに高騰してしまう。ならば文京区外に住めばよかろうというご意見もあろう。ごもっともである。文京区近辺に多少の愛着はあれども、強いこだわりがあったわけでもない。

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たまたま住みついた千駄木近辺