吹原:僕もまだまだそうですね。誰かに怒られるたびに、「自分はなんてアホなんだろう」と落ち込みます。

田村:吹原さんでもそうですか。

吹原:もちろんですよ。ただ、そうやってアホだと自覚できる機会が多いほど、自分にとっていいことだと思うんです。“小さなアホ”を叱ってもらって芽を摘んで、“大きなアホ”にならないように自制できるわけですから。

田村:自分を戒めているわけですね。

吹原:商売柄もあるかもしれません。演出家として、脚本家として、俳優としてアホになっていないか、いつも顧みるようにしているんです。だから、周りの人がきちんと注意してくれるので、恵まれた環境にいるなとは思います。

■アホだと指摘してくれる仲間を作ろう

田村:海外のビジネスの現場では、直すべき欠点を指摘してくれる人なんていません。近しい仲間でも、いいところをわざわざ探して褒めるという人ばかりです。会話をしていて気持ちはいいのですが、勘違いして、増長してしまう危険性があります。

吹原:それは怖いですね。

田村:金持ちであったり、高い教育を受けたりした人ほど、間接的な表現をするようになります。たとえば、メールで「ちょっとしたチャレンジがありました」という文面があったとすると、ものすごいトラブルがあったということです。

吹原:それを読み取るのに苦労しそうですね。

田村:おっしゃるとおりです。反対に、人のことを注意するときも大変です。私の大学講師仲間の日本人は、日本の感覚で厳しく学生を叱責して大泣きされ、あやうく裁判沙汰になりかけたそうです。なぜなら、評価の基本は「Amazing」であり、課題がある場合には『「Good」だけど、そこをもっとよくしよう』という言い方をしなければならないからです。

吹原:褒め殺しみたいですね。

田村:だから、勘違いしたアホにならないため、客観的な視点を持つための努力が必要です。そのひとつが観察です。言葉の細かな表現や、相手のその後の態度などを敏感に察知して、そのたびに自分を微調整していかなければいけません。

次のページ
アホと戦う自分こそがアホ